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2013年9月写真展「深入り」記帳スペース.
2001年10月写真展「自己嫌悪病棟 case1夜来るもの」記帳スペース.
2013年も残すところあと数日.
これが今年最後のコラムになると思います.
今年の1/1のコラムで僕は覚悟とか
表現者としての自分を問われる年に・・・と書いていますが
それに偽りの無い、全力疾走というのがそのまま当てはまる
1年だったように感じます.
かつてのどんな年よりも熱かった…と今言えるのは
この歳でなんだか照れくさくもありますが
なんというか..そう..春先からこの12月まで、
気候も含めてずっと熱かった年は初めてです.
12年を経てWALDという場所で写真展をすること
レセプションで予想外にたくさんの方々に集っていただいたこと
そこからの賭け…東京のギャラリーでの審査から来年夏での新宿へ…という道筋.
そこで出逢う方々にかけてもらった言葉…
…にも関わらず相も変わらずネガティブ思考というか
「良いんだろうか…」「大丈夫かな…」
という果てしない自信のなさは変わらないので
逆に周りの方に叱られたりもしていますが…
でも、例えば今回の写真展「深入り」で写真を始めて20年にして
ようやく完成の域に達したというか、自信があることがあります.
それがこのWALDでの「記帳スペース」です.
初個展の時から、来場してもらえた方に記帳してもらう場所
感想を記してもらう場所という空間は、僕の写真展に於いては
すごく重要なものだったりします.
この2013年のと2001年とを見比べて解ると思いますが
作品そのものはフィルムからデジタルへと変遷したけれど
「感想を綴る」という空間の共通点は多いです.
手にしてもらうペンをいろんな色、種類をちょっと必要以上じゃないかと
思えるくらい用意していることも、前作、今作のポストカード、
フライヤーを自由に手に取ってもらえるように置いていることも共通です.
とりわけ今回の写真展では芳名帳というか感想ノートそのものを
あえて前回の写真展からの続き…そのまま同じものを使いました.
分けるというのも考えたけれど、いろんなものが移り変わっても
自分の作品というものが1本の線…物語として紡がれていて
それには過去とか未来とは別の次元での
繋がりというかもっと別の、大切な意味を持つのではないか…
そこに綴ってもらえた感想や想い、感じてもらえたことを1冊のものにしてみる
それもまた僕の写真展の一つの大きな足跡なのではないか…そう考えた次第です.
何より直筆で書いてもらったものは作家本人や書いた人..或いは時代が
どう変わろうと、そこで感じて記したことは、ずっと残っていくのだから.
なので、ギャラリーを選ぶときこの記帳スペースをどう設けるのか
ということは真っ先に考えることで、WALDでの展示が決まった時点から
ここにその空間を設けるというのは決めていました.
打ち明けるならその記帳台に被せる布も、2001年と同じものを
用意していたくらいです.だけどWALDに僕が設置したいと願う空間に
とびっきりの椅子とテーブルが在ったことは嬉しい誤算でした.
そのおかげでかつてないほどの完璧な記帳スペースを
創ることができました.この場所…僕はすごく気に入っています.
2001年から2013年…その時間がどれくらいのものかは
解らないけれど、最近では署名をするノートだけ置いてあるという展示が多いです.
実際今回の写真展でも以前みたいに生々しい気持ちの吐露が記されていたり
想いのやりとり…というのはすごく少なくなりました.
だけど、少なくはなったけれど作品観てもらえて
何かが伝わったり、感じてもらえたりして
その気持ちのままでペンを選んで、想いを綴ってもらえていること
それがやっぱり一番嬉しかったりします.
作家然としているよりも、作品を観てもらう人たちと
同じ視点でいること、それを2001年から今年まで
ずっと変わらず大切に出来ていることに気付けて、そして
それを綴ってもらう空間を思い通りに創り出せたことが
他の部分ではどうにも自信が持てない僕の数少ない自信だったりします.
そんな2013年も過ぎ去ろうとしていますが
今年1年、僕のコラム読んでいただきありがとうございました.
声なき声は今もちゃんと聞こえていると思っています.
また今年1年、サイトのトップに掲載していただき
「書く」という場所を提供してもらえたJunkStageさまへ
たくさんの感謝を込めて…
僕は此処が大好きです.
古賀英樹