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こんばんは、酒井孝祥です。
酒井が初めて古典芸能を学んだといえるのは、研究生として入った劇団で一番最初に行われた、狂言のレッスンです。
そのとき一番最初に教わったのは、立ち座りの方法でした。
立った状態から正座をする、正座の状態から立ち上がるときに怪我をしない方法です。
一番最初に教わったことは後々まで印象に残っているためか、僕も、人から着物を来たときの動きを教えて欲しいと頼まれたときには、その時のことを思い出して、安全な立ち座りの方法を最初に教えるようにしています。
そして、完全に口移しで先生の台詞回しを真似て反復する、狂言の稽古方法はとても斬新でした。
狂言に限らず、古典芸能の稽古の基本は、師匠の芸をそっくりそのままに真似ることの様です。
理屈云々はさておき、師匠がやったことと全く同じことをやろうと試みます。
よく、演劇の台本を受け取ったら、安易に声に出して読むなと言われます。
その台本に書かれている内容をよく読んで理解しないままに、状況もイメージ出来ないままに口に出したとしても、文字の上っ面をなぞるに過ぎないからです。
ですから、きちんと書かれていることの内容を理解して、初めて声に出す。
ところが、狂言の稽古は全く異なるアプローチでした。
作品のストーリー概要なども説明されないままに、台詞ほぼ一文節づつの口移し稽古が始まります。
耳に入ってくる師匠の言葉を、頭の中で文字に置き換えようとせずに、耳に入ったそのままにリピートすることが求められました。
狂言に限らず、古典のものの稽古においては、長い年月をかけて検証されて完成された形があるのですから、その受け継がれてきたものをそっくり真似ることから始まり、自分の個性などを出そうとするのは先の話です。
初めてのレッスンで習ったのは「魚説教」という作品で、お坊さんになったばかりの元漁師が、お経を唱え様にもよく分からないので、知っている魚の名前をお経の様に連呼していくというものです。
事前情報がないままに、稽古をしながらストーリーの内容を初めて知ることになったので、内容の可笑しさのあまり、レッスン参加者の中より、途中から笑い声も起こりました。
そしてその年に、アマチュアの狂言サークルの発表会で「文蔵」という狂言の中の“語り”の部分をやらせていただきました。
「文蔵」という作品は、大名が家来の太郎冠者に、合戦の物語を語って聞かせる劇中劇の様な要素を含んでいますが、その劇中劇である「石橋山の合戦物語」の部分のみを抜粋して上演するスタイルでした。
“語り”とは言うものの、ただ言葉で物語るだけでなく、身振り手振りで戦の様子を語る、舞の様な要素も含まれており、扇を太刀に見立てて降り下ろしたり、激しく組み合っている様子を身体表現したりと、上手く出来れば凄く格好良い動きがついています。
まだ日舞の稽古でもお扇子を使った踊りを習っていなかったそのとき、扇を手の中に握りこむ様に持っている状態と、親指と手の平で挟む様に持っている状態の判別すらも出来ず、動きを覚えるのに本当に苦労しました。
ある稽古の日、あまりにも出来なくて情けなくて、稽古の後に悔しさのあまりに号泣したことを覚えています。
今ではほとんど狂言と遠ざかってしまっておりますが、事ある度に思い出す、狂言の師の言葉があります。
それは、一番最初の稽古の帰り道で言われたことで、
「人はみなそれぞれに自分の時計を持っている。」
ということでした。
その時計の動き方が早い人もいれば、遅い人もいる。
止まっている時計がいつ動き出すかも分からない。
だから、自分から諦めてその時計を捨てる様なことをするのも勿体ないです。
その想いが、今でも自分の大きな支えになっております。
次回は、「7周年記念パーティー!」(古典芸能)をテーマにしたコラムをお届けします。