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(今回はほとんど畑違いの内容なので、大変書きにくかった)
こんにちは。根本齒科室の根本です。
これは小鳥の名前でも、新進気鋭のピアニストの名前でもありません。
じつは私も以前、少しだけ『ピペド』的な状態だったことがあります。
結論から言うと、ピペドとは、ある特定の研究者を指すネットスラングです。
私がいわゆるピペドの一員だった1998年~2001年という時代は、バブル崩壊後の余熱に、みんながまだ酔っていたかった頃です。
そして世の中をバイオブームが席巻していた時代でした。
クローン羊とか、ヒトゲノム計画とかがもてはやされていた頃です。
今日は、歯とはほとんど関係がありませんが、そんな話を少ししてみたいと思います。
ピペドの語源は、ピペットの奴隷、とか、ピペットの土方という所から来ています。
(詳しくはこちらをご覧ください)
少し前、IT業界の劣悪な労働環境を指して、IT土方という言葉が流行ったことがありましたが、それに似ています。
<バイオブーム>
パソコンのインターネットの黎明期。(Windows98SE)
モバイルの主流がPHSから徐々に携帯に移行しつつある時期。
株・土地バブル崩壊を経てなお、実社会ではバブルの余熱に浮かれていたころ。
長銀国有化、山一破たん、住専問題や商工ローン問題。
そんな時代に、私の周りでも、確かにバイオバイオって言っていました。
あまつさえ、大学を卒業する頃には我が校にも『大学院大学何とか計画(失念)』のようなものができていました。
「今なら入れる!」「大学院生倍増中っ」みたいなことも盛んに言われていました。
大学院の2年次に、学部外の研究所に出向になったときに、早く歯医者さんしたかった自分は非常に複雑でした。(研究所で実験かよ・・・)でも、実際に研究所に行ってみると、本学、他大学を問わず、医学部や歯学部の院生が結構出向してきていました。
先輩方は「よかったな、ここで。今はバイオは花盛りだから」とか「モレキュラー(分子生物学の分子のこと)触ってないとこれからはダメだから」とか盛んに言っています。
それで、(そうなんだ・・・) と、何とか自分を抑えていたのが正直なところかもしれません。
ラボ内では、あくまでも私見ですが、かなりの精鋭の先生や先輩が多く、かっこいい感じではありました。
ラボ外でも、例えば私の出向元医局(旧第一口腔外科)では大学院生の報告会などもあるのですが、バイオとかモレキュラーやっていると一目置かれたりしていました。英語が(ある程度)読めるというだけで、後輩の院生は目を丸くしたりしていました。いいのかよ、それで。
もっとも不思議だったのは、(なぜ俺のような不相応のが院生やってられるんだ)という単純で素朴な疑問でした。親はどちらかというとあまり賛成ではなかったのを思い出しました。早く歯医者として仕事をしてほしかったのかと思われます。
結局3年間、歯科と全く関係のない実験ばかりをして過ごしたのは事実です。
「ピペド」「バイオブーム」先日この単語を見て、当時の疑問の多くが腑に落ちました。
バイオって、単なるブームだったのか!
衝撃だったのは、今日の今日まで、バイオは先端的で産業的にも有望な分野なことだと思っていたことです。
震災の時も、児玉龍彦先生が国会などで説明の引き合いに出したのも、RANK/RANKLやNF-κB、p38、p53などの、もろにバイオ系、分子生物学系の単語でした。それを見たら、私のような社会に疎い人間は、バイオは先端的で有望な分野だと思わざるを得ないですよね。
それがどうしたことか。
昨今は不採算部門の筆頭で就職率も最悪、偏差値も最低、まるで現在の歯学部みたい。
少なくとも、うちの大学でも自分の受験した平成2年でも、まだセンターの足切り6.8倍、2次試験が3.5倍(合計24倍)の倍率がありました。
今はあのころが嘘のようで、各大学で定員割れが続出の状態です。
<博物学と物理学>
「ピペド」とはそれにしてもひどい言葉だ。
博物学の系譜を引きずる生物学は原理・法則の追及や数学からは疎遠である、という指摘は、ずっとそうだとは思っていました。
博物学という単語は知らなかったけど。
〆のラーメン、じゃない、〆の統計なんて、けっこう弄りようで割とどうにでもなる?!なんて言ったら怒られてしまうけど、StatView()
確かに数学とはほぼ無縁な感じはします。
鬼のような、それこそ時には徹夜も厭わない動物実験を中心とした実験の山の日々。
修行僧的なストイシズムに裏打ちされた根拠のないプライド?!は結構満たされていたかもしれません。しかし(俺、頭使ってないなぁ)(体育会系な日々だなぁ)という疑問は、思い返してみるとたしかに感じていたと思います。
うぉ、ヤベー!当時の俺と全く同じ事やってやがる。しかも正確にwww
後はこの人(「まほろ」さん)にお願いして、俺は飯でも食いに行くかwww
って、なりますよねえ。こんなの見たら。
それにしても、かわいそうなのは、バイオブームに浮かれた現場の当事者たちです。
自分なんかは、とりあえず歯科医師免許があったから食うには困らなそう、というか、大学院を出た後も、働かないと食えないです。
「医局の好意で大学院を出してもらったんだから、少しは(無給医局員などで)お礼奉公でもしたら」とアドバイスしてくれた人もいて、それはそれで恐縮な気持ちにもなりました。
しかし実情は、全国的に大学院生を量産しすぎて、受け皿がなくて困っていたんですね。
特にバイオ。
「オーバードクター問題」「ポスドク問題」のように、博士号取得者の安定的な職がない問題もささやかれ始めていましたが、じつはその大多数はバイオ系だったようです。
院生のころの私は、畑違いだという違和感を強く持ちながらでしたが、それでも、上の好意で実験をさせてもらっている、という意識は忘れたことはなく(同時に、上の陰謀でさせられているとも思っていましたが)、自分の好意で実験をしてやってる、なんて傲慢なことは一度も思ったことはありませんでした。
もちろん院生や先生方の中には、歯科医師免許や医師免許を持たずに、その道一本という人も何人かはいました。そんな人のことは、心の底から尊敬していました。
俺には真似できない。まるで永平寺の修行僧か、陸自のレンジャー学生のようなストイシズムだ!
一を訪ねると百になって帰ってきて、「このジャーナル見とけよ」「○○先生が詳しいよ」なんて、私のような出来損ないにまで丁寧にアドバイスしてくれる先生方。
日本語訛りや関西弁訛りだけど英語で外人とふつーにペラっちゃう先生方。
さっき心配になって、主だったところを久しぶりにググってしまいましたが、みなさんご健在そうで安心しました。
もう12年前の話だなぁ
しかし、その他の中の大勢の人たちは、ブームに乗せられて、大学院は出たけれど、安定した就職先がない状態です。
「ピペド」の解説を見ると、たしかに、ちょうどバブル崩壊後にミレニアムプロジェクトなどの多数のプロジェクトが立ち上がるのと軌を一にして、大学院大学などで大学院生の増強が行われていることが分かります。
しかし、当事は誰も考えなかったのだろうかと思います。彼らの将来のことを。
バイオブームを演出するにあたって、彼らの卒後の研究者としてのポジションや、企業等への就職先の受け皿のことは、まさか頭にはなかったとでも・・・
(大学院生を増やしておけば、企業は自動的に雇用を増やすだろう)えっ、えっ?
ITブームやネット先物ブーム、起業ブームとはわけが違う、一大国家プロジェクトです。
例のミレニアム何とかのページ(PDF)を見ると、2005年時点で、バイオ関連の研究の多くは、方法論も含めて手さぐりの状態であったことが強調されています。
的確な攻略法が見当たらない山を崩すために、多くの若者の人生が、人海戦術さながらに無駄に費やされたのではないかと強い疑義を感じています?
彼らには任期付研究者(=非正規・パート)や「ピペド」としての需要はあったが、社会での労働者としての需要はほとんどなかったものと思うと、言葉もありません。
<あちこちで『セイの法則』的な錯誤>
「社会から必要とされない」
「需要がない」
これはとりわけ成人男性にとって最もきついことの一つなのではないでしょうか。
なぜ「社会から必要とされない」「需要がない」人=供給を作ろうとするのか?
あなたは、実生活において
「需要があるところに供給がおこる」
「供給があるところに需要がおこる」
のどちらが真理だと思いますか?
いやこんなこと聞くまでもなく、常識として前者であることは言うまでもありません。
たとえば卑近な例ですが、当院で、いくらインプラントを宣伝で勧めてみても、たとえば「入れ歯にはこりごりだ」「ブリッジで歯を削りたくない」のような『需要』のある方がおられないと、まず話が進みません。
もちろん(この人にはいい結果が出そうだ)というケースで、ご本人がご存知でない場合は、お勧めして潜在『需要』の掘り起こしを行うこともあります。
これも、『需要』が先です。それは最終的な決定権は患者様にあるからです。
しかし、私の知る限り、世の中にひとつだけ、そうでないと思われる分野があります。
経済学です。とりわけ新古典派、新自由主義と呼ばれている分野です。
私は門外漢なので詳しくは分かりませんが
「セイの法則」
というのが、「供給があるところに需要がおこる」という法則で、今の経済学者や御用学者は一生懸命この法則の正当性を守るために頑張っているようです。
・・・この法則そのもの、というか、”セイの法則的な感覚”ですね。
今年の4月ごろを思い出します。
新しく就任した日銀の黒田総裁による「異次元緩和(量的質的金融緩和)」の効果で、たしかに行き過ぎた円高は解消され、株価などの資産価格は上昇しました。
しかし、緩和された現金は、各銀行が持っている日銀の当座預金の口座に付け替えになって積み上がるだけです。要は今まで持っていた国債(政府の借金の証文)を換金(日銀の借金の証文)した形です。
民間ではデフレで実質金利が高く、モノを買うより現金で貯金している方が得ですから、カネを使おうとしません。つまり資金需要がありません。
銀行も、民間や政府が金を使わないので、金利のつく国債を金利のつかない現金に換金してしまうと損です。今までは国債の金利で回っていたのですが、黒田さんに国債を取り上げられてしまったwので、利ザヤで稼げるものは何か、と考えます。
すると、株や土地、FXだったり、原油・貴金属・穀物などの海外商品先物だったりするわけです。
現金を供給して価値を薄めさえすれば、民間に資金需要は生まれるのでしょうか?円キャリーなどの形で海外に流れてしまっては、元も子もありません。日銀砲のときもそうでした。惜しいことをしたものです。
しかし肝心の内需という需要(復興、国土強靭化、五輪関連etc)を満たそうとして、国が国債を発行しようとすると「国の借金ガー」「国債暴落ガー」「プライマリーバランスガー」と朝日新聞や御用評論家が()
▲ (狭義の)リフレ派
いわゆる『(狭義の)リフレ派』と呼ばれる人たちも、デフレ下の方針は途中までは正しいのですが、基本的に「供給があるところに需要がおこる」という考えなのでしょう。だから緩和後のカネの流れに無頓着なのでしょう。
「カネの価値が薄まれば必然的にモノに移行する」といいますが、モノの前に海外に流れて円キャリーになっても、彼らの『方程式』『法則』では良いことのようです。
街の景気に敏感な庶民目線では、到底信用できるものではありません。
▼ グローバル主義者
ケケΦや三木谷氏など産業競争力会議の民間”議員”や、経団連などの『グローバル主義者(グローバリズム信奉者)』は言うに及ばず、「サプライ(供給)サイドの規制緩和」ばかりを訴え、日本の内需がなければ世界に打って出てアジアの成長を取り込む(=国内の雇用はどうでもいいので現地に工場を建てて現地人に売りつけるor日本に逆輸入)などと言っています。
供給を増やすのを一概に悪いとは言いませんが、デフレ下においても同じスタンスなのは首をかしげざるをえない。需要に対する視点が全く欠落している典型例です。
▼ 財政均衡主義者
「国の借金ガー」「国債暴落ガー」「プライマリーバランスガー」な『財政均衡主義者』の場合は、財務省内の表面上の収支が何を置いても最優先ですから、内需である国債というだけで大反対です。こちらは供給を重んじるというよりも、需要がムダ遣いに見えて仕方がない”固定観念”なのでしょう。
少なくとも商売人、手形で取引している人たちで、これに加担する人はいないでしょうw
経済学を外から見ていて思うのは、やはりモデリングの難しさです。
「経済人」という合理的で無味乾燥な仮想人格を元に構築しているので、もろもろの数式は、熱力学の式や気体の状態方程式のような、巨視的なものにならざるをえません。
でもそうすると、モデル化の際に、民族性や社会習慣、個性、気候など、さまざまな要素(パラメータ)を切り捨て過ぎになるのではないかと思います。それはコントロールと呼ぶには乱暴なことだと思います。
そのようなモデル()を作っていっても、あくまでも、ある程度の目安的な、近似的な関数しか得られないのではないでしょうか。モデリングに問題があるなら、逆にむしろ『博物学』的な観測アプローチ、端的に言うと三橋貴明先生的なデータ実証主義、が現状より強く求められるのではないでしょうか。
ここは、生物学には『物理学』的な、原理・法則を追求するようなスタンスがより求められているのとは対照的で、興味深い点です。
<『歯科』の供給と需要>
歯科はとうぜん医療系なので博物学です。その中でも治療分野はとくに職人芸的な才覚を要求されます。
たしかにこの世界になかなか、実験計画法とか、数式は、なじみませんね・・・
しかも治療行為はブラックボックスなので(1、2、3)、評価すら困難な状況です。
予防行為では、メンテナンスでの評価ができる分、まだ数値化になじみやすいように思います。
需要と供給は、どうでしょうか。
これは、昭和33年に大きな転機がありました。これは需要と供給を同時に満たそうとした例で、興味深いものがあります。
需要の掘り起こしとしては、昭和33年の皆保険加入がありました。供給の増加としては、歯科技工士法(昭和30年)の制定や、歯学部倍増がありました。
『みんなの歯科ネットワーク』の情報(PDF)によりますと、【歯科大学・歯学部数推移】は、7校(昭和35年)⇒29校(昭和55年)、【歯科大学・歯学部入学定員数推移】は、690人(昭和35年)⇒3360人(昭和55年)と、この20年間でものすごいことになっていますね。
これで治療『需要』に追いついていなかったのですから、そのすさまじさが分かります。
現在は大体入学者数も国試合格者数も3000人弱で推移していて、歯科医院1軒当たり人口1500人程度です。
この数字は、欧米では十分ペイできる数字ですが、日本の保険制度では、医院経営を考えると少々苦しい数字だとされています。
ただ、歯科医師の供給は、わが国では4分の3は私大によるものであり、今後の需給関係や学生動向を考えても、いまだ歯科医師を現状のまま量産し続ける姿勢には疑問を持たざるを得ません。(医学部を作って定員を倍増すれば学生も大勢集まるのに)素人考えながら、素直にそう思うのですが・・
歯科に話を戻します。
これからのことを考えると、今後の掘り起こすべき需要はもちろん予防だと思いますし、そのためには歯科衛生士の供給は当然必要です。
「歯科衛生士数 推移」で検索すると、就業歯科衛生士や、歯科技工士その他の数字が出てきます。歯科技工士数が35000人程度で頭打ちなのに対し、歯科衛生士は24836人(昭和57年)⇒103180人(平成22年)と順当に伸びています。
これだけ見ていると、歯科衛生士があふれているように見えますが、現場的には、正直、歯科衛生士の募集は非常に困難です。さすがに誰でもいいというわけにはいきませんが、どこの医院でも、求人に対してなかなか募集がないのが実情です。
しかし、日本では、海外と比較すると、麻酔ができない、レントゲンのスイッチが押せない、歯科医師の関与がないと仕事ができない、など、先進国の中では非常に業務上の制約が大きいのが特徴です。悪法も法なので一応守らないといけないんでしょうが、現状が実態に即しているとは思えません。衛生士のモチベーションや、職種の魅力を高めるためにも、先進国の事例を参考にしながら、業務上の制約の緩和は真剣に検討すべき時期に来ていると思います。
ここで歯科医師側の方が、いわゆる”既得権益”にしがみつく形になってしまうと、まさに「セイの法則」「供給があるところに需要がおこる」の典型になってしまうのではないでしょうか?
制度面の改善も駆使せず、需要を掘り起こさない状態で供給のみを増やすと、わが国において歯科衛生士が将来ピペドの二の舞にならないとも限りません。すでに、退職したり結婚したりして現場を離れている「潜在的歯科衛生士」が増加して復職したがらないことが大きな問題になっています。
あまり言いたくないのですが、長期間離職することで一定(はっきり断言はできませんが)以上の年齢になってくると、復職後の新技術の習得等に支障をきたしてくることも予想されます。どの分野においてもそうでしょうが、困難な問題です。
今回は、歯科に限らずいろいろなことを需給面から考えてみました。
【今回のまとめ】
私見だが、供給の前に、需要を精査したり掘り起こしたり創出したりすることが大事。