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地球の舳先から vol.296
キューバ編 vol.12(最終回)
ハバナのライブハウスの最高峰、「カサ・デ・ラ・ムシカ」は、
ガリアーノと呼ばれる町の中心部ともう一軒、大きな陸橋を渡ったミラマール地区にある。
10年前は、ほんのわずかな小銭で現地人の乗合タクシー(しかし見る人が見れば垂涎の
クラシックカー)に乗り、開きっぱなしのドアを押さえながらこの陸橋を渡ったものだった。
戦闘能力を失った割に相変わらずお金も無いわたしは、観光巡回バス(10年前はなかった)
に乗って、ライブハウスの近くまで行くことにした。
「ミラマール」とだけ同乗しているえらくミニスカートの車掌に伝え、
いよいよ近くなると目的地の「カサ・デ・ラ・ムシカはどのへん?」と尋ねると
バスはその先で迂回をして巡回コースを逸れ、ここからまっすぐ、というところまで送ってくれた。
ミラマールのカサ・デ・ラ・ムシカはまだ品行方正で、
バンボレオというわたしでも知っている超有名アーティストの日だったこともあり
割合じゃまをされずに音楽を楽しむことが出来た。ハバナらしい夜が更けていく。
帰りはライブハウスの前に待ち構えたぼろいタクシーが破格で送ってくれる。
町を縦断してホテルまで帰る間、また走馬灯のように昔の光景が蘇る。
キューバの光景、というよりは、19だった自分が。
本質的には、この国は本質的にはなにも変わっていないように感じた。
多少垢抜けた気がしなくもないし、色々とへんなものが建ってもいたけれども
時流の間を狡猾に生き延び、「観光」をする分には相当ハッピーな国。
なんだ、こんなに変わらないんじゃ、もうあと10年後も来なきゃいけないじゃないか。
少し拍子抜けして、そんなことを思った。
最後の晩は、モヒート発祥の地と言われるボデギータ・エル・メディオで
背中に生演奏のユニットを背負いながら、いい加減砂糖抜きにするようになったグラスを空ける。
籠もった空気。けど東京のコンクリートジャングルの閉塞感とは別。人の絶えない夏の匂い。
雨が降れば水はけの悪さであちこちに渡れない水溜りができ、障害物競走になる。
千鳥足で人にぶつかっても、口説きはしてもこちらから求めない限り強姦なんかとても
できそうにない、なんだか気弱な優等生みたいなキューバ人男性たち。
そういえば、金くれとかモヒートおごってくれとかその時計くれとか言われたことは
無数にあっても、知らないうちにお金や持ち物を抜かれたことは一度も無い。気配すら無い。
昼間に行った大学周辺には、医学生が溢れていた。
この国では医者は決して高給ではなく、石油などの見返りのために周辺国家に派遣される。
お金のために選んだ職業ではなく、魂がなければとてもやっていけないだろう。
しかし裏を返せば、キューバに生まれたから純粋に医者を選べたという考え方もある。
それは職業選択の自由であり、精神的な自由だ。
理想を追ったキューバが成功しているとは言わない。
しかしこの地にいると、いやでも人の幸せや人生ってなんだろう、と思う。
お金とか、生活とか、安定とか、社会が要求するライフステージとかステイタスとか。
心を縛り結果として体を縛る目に見えないルールは、一体どこに向かわせようというのだろう。
もう一度言う、だからってキューバの社会主義が人を幸せにしたわけじゃないけど。
時差ぼけが治る頃には帰国の日。わたしの東回りの時差ぼけはいつも酷い。
エアカナダの航空券に、高い出国税と、パスポートに押す代わりの出国スタンプを貰い
わたしはキューバをあとにした。
トランジットのトロント(カナダ)で、分厚いメニューから選んだピノ・グリージョは程よく冷えていた。
しばらくは、お酒を飲むたびに、外気で5分でぬるくなるキューバのビールを思い出すのだろう。
おしまい。