« ハーフ成人式!? | Home | 自分で確かめましょう »
良いタイミングで手に入れることができたEL-NIKKOR 50mm f/2.8と同80mm.
ブログにも少し書いていますが、
今ちょっと「暗室」というものを見直している..というか
写真展を開催して、今回初めてデジタルプリントで
作品制作をやってみて、モノクロで作品を創る..ということに対して
いろいろ思うこともあってもう一度、自分にとっての「暗室」というものに
ついて考えたりしています.
自分の目指しているトーンというものは、誰でもそうだと思うけれど、
写真始めたときからずっと暗室で試行錯誤を繰り返して、
プリント焼きながらなんとなく感覚として、あ…自分の作品にはこれだな…
というものがあって.上手く言葉に出来ないのだけど
展開したい作品のトーンまで辿り着くのが、作品創りのまず大きなヤマだったりもして.
今回の写真展では、その暗室でのプリント作業というのを
初めて外注というカタチでやった個展でもありました.
もちろんお願いしたプリンターさんは福岡でも屈指の腕を持つ方で
来ていただいた方からの評価もいただいて、お任せしてよかったと思ってます.
「え、これデジタルなんですか」と何度も言われました.
と、同時にデジタルでモノクロをやる、自分のトーンというものを追いかける…
その深みというか壁..みたいなものもまた感じているところです.
例えばこちらの4点は写真展ではメインスペースではなく
別室での展示になっていた4点です.
本来なら、3部構成の中に組み込まれて、
それなりの役割を果たすことになるはずの4作品でした.
何故この4点だけ別室での展示になったのか…理由は単純ですが
全作品の中でこの4点だけが赤味..マゼンタが強く出ていたからです.
今回の作品は、昨年からの準備という長いスパンで制作していきました.
プリントも諸事情により、一度に出すというわけにもいかず
何回かに分けて発注していました.
それでも、プリンターさんとのやりとりの中で
ほぼ同じトーンの作品で約40点を揃えることが出来ていました.
だけど、ギャラリーで並べるに至ったとき、この4つだけが赤かった・・・
構成する流れに組み込むことが出来なかった.
写真展が終わった後、プリンターさんのところへ事情を話しに行きました
そして、費用と日数、何より気持ちを込めた作品だからと
何枚も焼き直ししてもらいました.
ところがこれが容易に答えの出るものではなくて…
まず赤味が出ていた作品をプリンターさんのところの光源で視ると
これが見事に僕が意図した通りのトーンになっています.見事な冷黒調です.
では会場となったギャラリーの光源によるものなのか…
だけど他の作品は違和感なく展示することが出来ている.
話を進めていくとこれはもう、複合的なもので現在の時点では
視る環境の光源はもちろん、プリントを発注した時期と季節、
輸入した印画紙の乳剤、使用した薬品の違いから
もうそれだけでモノクロのトーンは変化してしまうもので
それこそギャラリーの光源によってさえ、見え方が違うと..
カラーでのそれよりずっとデリケートなものだということでした.
暗室の話に戻るのですが、やはり自分が今まで「これ」と思って
焼いて来たトーンを外注でやりとりをしながら完全にコントロールすることは
限界があるのではないか…ならばそのためにどうすればいいのか.
これから先、やっぱりデジタルが主流となっていく中で
そこで自分のトーンというものを出そうとするなら、
かつて暗室で自分がやっていたこと、感じていたことを
もう一度そこへ帰って、触れてみるべきではないか…そんなふうにも感じました.
その上で、そこで忘れていたものかつて肌で感じてたものを
デジタルでの作品創りへとフィードバック…持ち帰ることが出来たなら…
ちょうど今、僕の手元にはいただいたときのまま
物置にしまっている引き延ばし機があって.
それとセーフライト、バット、イーゼルその他暗室機材も一通り揃ってもいたりしていて.
せっかくなら実際暗室でのプリント作業や、そこで求める階調を出すために使われる
手法のあれこれなんかを、触れて知ってもらえる機会を作れたらと.
写真教室、暗室教室みたいな技術や知識をただ教わって
持って帰ってもらうものではなくて
ワークショップよりももっと敷居を低くして、
最低限必要なものだけで、暗室ってこんなことできるんだなーとか
プリントってこうやるんだ…いろんな暗室技法の中で
こんな感じのを出すためにこんなことやるんだなーっていうのを知ってもらって、
そういう「何か良いな」みたいなのを自分の写真や創作に持って帰ってもらえたらいいなと…
写真展期間中に、同じ福岡のギャラリーアースペーステトラというところで
暗室BARというか、自分たちでプリントしてそれを肴にお酒飲もうっていうのを
開催されている方に来ていただいて、
お話を聞きながらそれは楽しそうだなーと思っていました.
それで先日開催されているところへお邪魔させてもらって来たのですが
やっぱり暗室、楽しくて.そこはほんとにゆるい空気の中で
最低限のプリントをしながら、特別熱を入れて写真の話ばかりをするわけでもなく
「写真をプリントする」ということをフックにしながら、自分のやりたいことや
表現したいものに結びつけて行こう..というものがすごく感じられました.
iPadで反転させたネガ画像を創ってベタを焼いてみたり、
Retina画面の画素をピントグラスで覗いてみたり.
やっていることは、本格的な暗室プリント…ファインプリント..
というには違うけれど、引き延ばし機という光を通って印画紙に焼き付けて
現像液に浸け、出て来た画像を定着させる..その過程をシンプルに
「こんなの出来るって良いですねー」と思える空間.
暗室を離れた僕が、「自分のトーン」というものを追い求める中で、
それがいつしか「自分の作品はこうあらねばならない」と観念的なものになってしまって
ガチガチになり、何処かへ置いて来てしまった、
「表現をしていくためのひとつの手段としての写真と、そのための空間としての暗室」.
写真というものがフィルムからデジタルへ激しく激烈な変化をした中で
それに合わせようとするあまり、本来ずっと持っておかなくてはならないはずの
本来の写真というものの姿を見失っていたのではないか…
というよりも、変わったのはツールやそれを使う作家の側で、
「写真」そのものの持つ本来の姿は、実は何も変わっていないのではないか…
「暗室」に触れられる環境そのものはこれから先、
もっともっと少なくなっていくかもしれないし
デジタルがより高度なモノクロのトーンをカタチに出来るようになって
いつしか僕らは暗室というものを必要としなくなるかもしれない.
だけど、暗室っていう空間はただそれだけのものではなくて
一過性でも構わないから、そこを通過するだけで、
何かを持って帰れるような…そういう特別な場所だと僕は思っていて.
それは「やっぱり銀塩を知っていると違うよねー」ということで
語れるようなものではなくて、もっと普遍的でずっと優しいもの…
上手く言葉に出来ないけど、「暗室のあの感じ」に触れて気付くものがあるのだと思います.
データを操作して作品を創る時、あの時過ごした「暗室」から
持って帰れるような何かがそこにあれば…
そしてそれをずっと大事に持っていたいものにしてほしい.
そんな「暗室」を作れたら楽しいかも…と少しずつ思っています.
竜頭蛇尾にならなければいいのですが..さて..