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エロ話ではありません。楽しいバスケの話です。
バスケの「楽しい」って、何ぞ?
これを書き出すと本当にキリがなくて。
バスケの楽しみ方って本当に人それぞれで、それこそ星の数ほどあると思います。まあ、それはどんなスポーツにも言えることだけんど。
「勝つからこそ楽しいんだ」なんて真顔で仰る方も多いですし、そりゃその通りと思いますが、プレ-の一つ一つ、単なるドリブル、パス一つとっても、そこには無限の楽しみ方があるわけで、殊に東京アパッチのブースターになってからは、見るバスケとして「肩の筋肉の動きのセクシーさ」とか「フリースローを打つ前の深呼吸のセクシーさ」とか、そんなセクシー中心な見方があることまでも教わりました。誰からとはいいませんが(笑)。

「何事まれ、感ずべきことにあたりて、感ずべきこころを知りて、感ずる」
とは、私の座右の銘だったりする江戸時代の偉いオッサンの言葉ですが、これってまさに本質的なことだと考えています。
沢山のバスケ馬鹿の方が、どうにかしてバスケをメジャースポーツにしようと日々粉骨細心東奔西走五里霧中しておられます。私自身はてんでアマちゃんで、実はここで「バスケバカ」と名乗るのもカナリ恥ずかしかったりするのですが、見たり聞いたりしてきたことから考えて、今必要なのは「感ずべきこころ」を育てること、その機会を出来るだけ沢山作ることだと思うのです。
それは、バスケ自体のハードウェアやソフトウェアなどの「感ずべきこと」の問題というよりは、人によっては「スポーツ文化」と呼ぶものの問題です。
かの神マンガ「スラムダンク」は、まさに「感ずべきこころ」に訴えかけた作品だったんだなと、この年になって改めて思います。私は、最終巻の山王戦「セリフのないラスト数分間」がとても好きです。
本当に全力で戦った試合の記憶って、あの風景そのもの。
スライドショーみたいな断片的な記憶。音は、全く無いか、自分の息遣いだけ。淡い色彩。タイムアップした瞬間の、急にボリュームを全開にしたような歓声。作者の井上氏はその風景の殆どを、コートの中の視点で描いています。たぶん一緒にコート上で戦っていたのかと。
あのシーンを読むことで、限界ギリギリのバスケを見事に追体験できるのですよ。私なんか今でも血が熱くなるのを感じます。バスケの楽しさ、「感ずべきこころ」を知る教科書の好例だと思います。ああ、これを話し出すと終わらなくなるのでヤメ。続きはまた今度。
bjリーグがスタートした2005年以降、いろいろな地殻変動が起きて、各地で子供達が直接バスケに触れる機会が増えています。沖縄と仙台では子供達の将来の夢として、ついに「プロバスケ選手」が登場したそうです。これは何よりも実現したかったことの一つで、関係者の皆さんは本当に嬉しかったんではないでしょうか。俺でさえめちゃくちゃ嬉しいもの。
なので、
「感ずべきこころ」を育てる機会を地道に増やしていくこと、さすれば、おのずと道は見えてくるのではないかと。
ただ、
ボールのツブツブを撫ぜて恍惚としている子供を見かけたら、「それはもう少し大人になってからにしましょう」と注意をしてあげた方が、その子の健全な成長のためにはいいかもしれません。
そのまま成長を見たい気もしますが(笑)