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地球の舳先から vol.288
キューバ編 vol.4
30時間近い移動時間で疲れていたのにもかかわらず、
どうも東回りが合わない体質で2時間ほどしか眠れなかった。
この日は、観光。
東京タワーの近くに住んでいたら東京タワーに上ったりしようと
思わないのと同じか、10年前も観光はほとんどしなかった。
ハバナの市街中心部は、海岸線沿いにビエハ(旧市街)、セントロ(中央部)、ベダード(新市街)と中心部が大きく3つのブロックに分かれている。
ビエハには博物館や大型ホテルが立ち並び、コロニアルな
宮殿調の古い建物が続くいわゆる一大観光地。
ベダードは高級住宅街や高級ホテル、大使館、ハバナ大学などがあり、
その中間地点に、住宅街と生活の場であるセントロ地区がある。
だいたい、留学生はベダード地区のそれなり以上の家に下宿をとって、
ビエハへ行くことは(観光以外の用途がなく)あまりなかったりする。
しかし誰しもが一度は通る道。目印もわかりやすく、大通りも決まっていて歩きやすい。
ホワイトハウスを真似て作った(勿論国交断絶する前)というカピトリオは旧国会議事堂
(ある意味での)スーパーカーを眺めていたら「写真を撮れ」と何十ポーズも要求され
昼時になれば広場には歌い手と楽器の演奏者たちが集いカーニバルが始まる
革命博物館にもはじめて行った(イラストの4人が、キューバの4大外敵らしい…苦笑)
フィデル・カストロらが上陸した船「グランマ号」が展示してあるが
(写真中央のガラスケースの中)、外気との温度差による大量の水滴でまるで見えない
…。
10年という歳月は、実はたいした時間ではないのかもしれない。
そう思うほどに、ぜんぜん変わっていなかった。
時間が止まっているようで、少し驚く。
変わったことといえば…
革命広場(社会主義らしく、大きな町には国民が集う大広場がかならずある。
この革命広場には何万人もが集まる)のオブジェが、チェ・ゲバラだけだったのが
国民に人気のカミーロ・シエンフエゴスのものも追加になっていたことと
実質、石油の優遇でキューバ国家を支えているベネズエラの国旗と
チャべス大統領の写真がそこかしこに溢れていたことだった
チャべスが死んだいま、キューバがどうなっていくのかわからないが
ソ連という後ろ盾を失ってベネズエラに頼ったキューバの逞しさは、そう簡単にかわらないだろう
「10年ひと昔」という言葉は、日本語なのかもしれない、と思った。
生きる国が違えば、体感のスピードも違う。