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2013/08/25

今年も石垣島の米原というところで約10日間のキャンプをしてきました。

もともとは都会で育つ息子のために始めたキャンプ。彼が5歳くらいの頃、家の中を歩く小さいアリを遠くに見つけては「きゃあっ! ママ、ママ!」と騒いでいるのを見て、毎夏のキャンプを始める決心をしたのでした (笑) 。

石垣島の米原は今年で3年目。毎年そこの自然に漬かり、まったく別な感覚を開花させ、別人になって帰ってきます。

まず、生きる力がつきます。キャンプすると、太陽や雨や風から身を守らねばなりません。どれが正しいという方法は実はなくて、その場その場での観察力と判断力が求められるんです。

食べることも、そこでは一苦労。いちばん近いスーパーは車で30分なので、その場にあるものでやりくりする工夫が必要です。できる人は、海で魚や貝を採ってきます。その辺から実や葉っぱも採ります。調理も、火種となる木の葉や薪を集めてくるところから始めます。冷蔵庫もないので、保存食の技術が磨かれます。そして、食べれるものはたいてい、そこにいる人たちみんなでシェアします。

これらぜんぶのことにおいて、子どもと一緒に方法を探る体験ができるのが、キャンプ生活の良いところ。そこのキャンプの達人たちと一緒に問題解決するにあたって、子どもが望めば仲間のひとりとしても扱ってもらえる。

そして、センスが磨かれます。センス= sense、つまり気づいたり認識したりする能力のことです。よく「あの人はセンスあるね」と言ったりしますが、それはおそらく、環境を知覚し、じぶんと環境との間にある部分を埋める断続的な努力のことを指します。

センスって、その能力を生まれながらにして持っているラッキーな人はいると思いますが、もしそうでない場合、自然の中にいれば自然と磨かれるものだと思うのです。実際、そんな環境で育った人は、よく聞いてよく見て、周囲で起こっている事象を微細に観察してます。友達との会話中でも、目の前のことに没頭しきらず、いつも感覚をアラートにしている感じ。まあ、その辺にふつうにハブとかがいるので、必然として身についた技なのかもしれませんが・・・。

大学時代、アートを始めたときに、師匠はこう言っていました。「センスを持ってることが大前提です。センスは教えることができないから。それさえあえば他は教えられます。」

そのときはピンときませんでしたが、師匠はこう言いたかったのでしょう。表現に必要なのは、センスと表現技術。表現技術はいくらでも後づけで教えられるけど、センスは教えられない。むしろ、自分で磨いて育てるべきもの。今この時点でセンスが育ってないのだったら、アーティストになるのはあきらめろ、と。

センスはまた、断続的に磨かないと、歳とともに衰える気がします。自然の中でのキャンプは、子どもにとってだけでなく私にとっても、感性を目覚めさせてくれる大切な体験です。ふつうにホテルに宿泊するリゾート・バケーションに比べたらほんとうにハードだし大変なのですが、ついついキャンプになってしまうんですよね。


2013/08/25 01:28 | maki | No Comments