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2013/07/31

井戸の底に女は感情を沈めようとした
また女は沈められた感情を拾おうとしていた.
互いわかっていた…
直視するのを避けてきただけかもしれないものが
井戸の水底にあるのだということを.

女と女と井戸の中/1997年/豪/サマンサ・ラング監督作.

 

「銀残し」(Bleach bypass)という手法は元々映画の、
それも日本の映画カメラマンが思いついたものだそうです。

僕も初めは映画「女と女と井戸の中」という作品の
低彩度・高コントラスト・ブルー系での映像を観て、
ずっと後まで何か惹かれるものがありました。
それを「銀残し」の効果だと理解するのは少し先のこと。

この技法はもちろん写真にも応用出来て、カラーネガプリントで
発色現像を強引に停止液(酢酸)を使って銀を残す、というやり方ですが
これがいざやるとなるとなかなか意図通りにはいかないものです。
たとえ上手くいったとしても保存性は極めて悪いと…

だけどこの表現も、最近ではPhotoshopやLightRoomでいとも簡単に
「再現」できるようになりました。実際そうやって表現された写真もよく見かけます。
中には、こういう加工そのものが機能として付いてるデジカメもある。

僕がこの「銀残し」と出会ったのが偶然観た映画であったのと同じように
ふと観た映画でその発色、トーンや雰囲気が印象に残って、
それを意識して創っていたらたまたまその手法だった..
ということも多いのかもしれないですね。

デジタルでは手間のかかる暗室技法など使わずとも
クリックと数値の加減だけで、惹かれた映画の色の再現が出来る…

そうなんです、今は暗室での悪戦苦闘とかガッカリとかを経なくても
自分が印象に残った、何かを感じた色、トーンを自分で再現できる時代です。
だから、その色、トーンを感じて自分の写真に持ってくるということそのものを
大事にしてほしいな…と思います。

そしてそれが、かつて1960年日本の偉大な映画カメラマン宮川一夫氏が
演出効果…動と静、明るさと陰鬱さを増すために編み出した
「フィルムの発色部分の銀を残す独特の技法」
であること、それが今ではそれが世界中で支持され使われていることを
知ってもらえたら…と思います。

「銀残し」それは今は文字通り言葉の上だけのもので
定着し剥がれ落ちようとする「銀」を残すという作業はもう
とっくに無くなっていて、「銀」そのものさえ、今やそこには無いけれど
写真と銀の微粒子の関係は、ずっと繋がっているのだと信じていたいと思います。

その関係性を頭の中だけでもちょっと知った上で、
選択肢の一つとして自分の意図するトーン、発色を求めて
PC上で1960年代の表現手法を使う。。。

銀残しだけでなく、ブレでもボケでも粗粒子でも
自分が求めるままに選びやってみること…
あの時観て、ずっと心に残ってるあの写真に在った「何か」を
自分もやってみたい…やってみたらどうなるだろう…
それは、写真の〜技法を再現する…という言葉よりずっと重たいし
意味を持つことだと思うのです。

デジタルでフィルムの〜を再現!…を単なる「再現」のままにしない為に…

2013/07/31 01:35 | hideki | No Comments