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2013/07/26

「幕間(まくあい)」という言葉があります。

辞書を引くと
「演劇で、一幕が終わって、次の一幕が始まるまでの間。舞台に幕が下りている間」
という感じで掲載されています。
ひとつの物語が語られて行く中で、出演する側にとっても、観る側にとっても
幕が下りている間は、次の一幕までの準備や今までの一幕を反芻して考える時間とも言えます。

翻って写真というものに対して僕なりにこの「幕間」を当てはめて考えると、
実はこの「舞台に幕が下りている間」という時間がすごく意味深く感じられます。

例えば今回の僕の写真展では、2通りのポストカードを用意しました。
意識したわけではないけれど、2つのポストカードに使用したコマは同日に撮ったものです。

1枚目のポストカードと2枚目までは、リアルタイムでは数時間しか経っていないけれど
僕にとっては2コマの間にはすごく遠い時間が流れているような気がしています。

その数時間の間…「幕間」では作品としてオモテに出ない、被写体とのやりとりや
移動する時間、撮影場所の選択…気持ちの在り方、迷い、躊躇い、決意、覚悟…
いろんなものが秘められています。作品となって現れるものは、
そうして搾り出され凝縮され、取捨選択された中のほんの一握りです。

作品として、カタチになり展示されれば、僕は何もしなくても
作品自体がそこで物語を伝えることが出来ます。
写真というものは絵でもなければ文章でもない…
だから描写力や文章力よりも、撮られたままが全てです。

「写真の技術」「画像処理技術」…以前はそこに「暗室技術」
というものがありましたが、それは作品としての完成度を増すための
技術介入要素として大切ではあるけれど、一度「撮られたもの」は
その瞬間から時間が経ち始め、どう変えることも出来ないものです。

大切なのは、作品と作品の間…そこに何があったのか、
その〜幕間〜の時間をいかに深くまで興味深く観る側に想像させ考察させられるか…

今回の写真展では約3年の時間を使って撮られた数千のカットがあります。
デジタルとなった今ではそれは具体的な数値としてナンバリングされて
パソコンのモニタに表示されます。

それを一つの写真展として構成しようとしたとき、そこに刻印されている
何年何月何日という時間は、すごく生々しいものを突きつけて来ます。
作品それぞれを繋ぐ時間はそれこそ数分、数時間から数年単位です。

そのコマとコマの間に僕や被写体、またその周囲に起こったことや
考えたこと…その幕間を読みながら作品構成、展開をイメージしてもらえたら…

そうして初めてその写真の作品としての完成度は、
観る人それぞれの中でいつまでも明滅していくものかもしれません。

幕間…作品として産み出され描かれる悲劇も喜劇も
美しいものも醜いものも、それを裏で支えているのは
「コマとコマの間にあったたくさんの出来事」
全ての善悪美醜は見えないものの中に…
コマとコマとの時間的・空間的なつながりの中で
組み立てられていくものなのだろうと思います。

-心が自然と同じように、何もない空間を嫌い、
光景を完成するために必要な情報を供給するのははっきりしている。-

 (『脳のなかの幽霊』 ラマチャンドラン)

2013/07/26 10:24 | hideki | No Comments