お久しぶりです。平安時代文学担当のなおです。
前回・前々回に続いて、平安貴族たちの贈り物事情について述べてみたいと思います。
□ 今回こそ本当に「贈り物上手」のお話を
前回のコラムは、末摘花の贈り物下手について、つい盛り上がってしまったために、タイトルと内容が一致しなくて、残念な結果に終わってしまいました(詳しくはこちらを御覧ください)。
もちろん、末摘花の例は、例外中の例外。
みなさんが期待されるような、「はなやかでみやび」な、『源氏物語』のイメージ通りの贈り物の例が、作中にはたくさん描かれています。
□ 妻たちそれぞれに似合う装束を、妻たちの序列にも配慮しながら・・・(六条院の「衣配り」)
まず、その代表的な例を、玉鬘十帖から見ることにしましょう。
「玉鬘十帖」は、玉鬘巻から真木柱巻までの十巻を指して一般にそう呼んでいます。太政大臣となり政治家としての位を極めた光源氏が、六条院という大邸宅に妻たちを住まわせ、趣向を凝らしに凝らしたみやびな生活を送る(優雅な行事もたくさん催されます)という、『源氏物語』中でももっともはなやかな巻々と言えるでしょう。(しばしば、「王朝絵巻」というキャッチフレーズで呼ばれる巻々でもあります)
『源氏』の 贈り物上手を探すには、ぴったりな箇所なのです。
簡単に玉鬘十帖の物語も紹介しておきましょう。
玉鬘十帖は、「養女」として光源氏に引き取られた、玉鬘というヒロイン(光源氏のかつての恋人、夕顔の遺児で父はかつての頭中将)と、光源氏の間の恋を中心に物語が展開します。
男が、母とその娘両方と関係をもってしまうのは当時としても、かなりグロテスク・・・源氏が恋心を押さえて思いとどまれるのか。危ない恋の物語です。興味を持たれた方は、是非はらはらしながら読んでください。
さて、玉鬘十帖に先立つ「少女巻」で、光源氏は六条院という広大な屋敷を造営します。当時の大貴族の一般的な邸宅(それだって、ものすごく広い)の4倍の広さだといいますから、驚くべき広さです。
光源氏は、その六条院に妻たち(紫の上・花散里・明石御方)を住まわせます。玉鬘もこの六条院に引き取られます。(ちなみに、先日話題にした末摘花は、二条別院という別邸に居所を与えられています。空蝉という既に出家している源氏のかつての恋人も一緒です)。
玉鬘は、夕顔巻で母親が急死した後、現在の九州地方で育つという、数奇な生い立ちをした姫君でした。
ですから、聡明で美しいのですが、都に出てきたばかりで、ファッションは多少野暮ったいところがあったようです。
光源氏もそれを心配して、玉鬘の正月用の装束を用意しようとするのですが、なにせ天下の光源氏。職人たちが技の限りを尽くして織った織物を、こぞって持ち込むものですから、見事な装束が山のようにあります。
そこで光源氏は手元にあるものの他に、紫の上に依頼して、屋敷の御匣殿(みぐしげどの・ここでは有力貴族が自邸に設けていた、衣装を用意するための部屋)や紫の上自身が染めたもの、あちこちの工房から納入された砧で打って光沢を出した衣などを、集めさせました。
たくさんの見事な装束の中から、妻たちの正月の装束を選ぼうというのです。
よく「衣配り(きぬくばり)」と呼ばれる、「玉鬘巻」巻末の有名な場面です。
妻である紫の上も同席の上で、光源氏が紫の上をはじめとする妻たちに似合う装束を見立てるのです。(妻たちの分だけでなく、娘たちや、かつての恋人たちの分も選んでますが)
紫の上というのは、なんでも飛び抜けてよく出来る、光源氏最愛の妻です。染め物もとても上手。
かかる筋、はた、いとすぐれて、世になきいろ合ひ、にほひを染めつけたまへば、ありがたしと思ひきこえたまふ。(玉鬘巻)
((紫の上は)このような方面(染色)も、実に堪能で、世にも珍しい色合いやぼかしをお染め付けになるので、(光源氏は紫の上を)世にまたとない、得難い人だとお思い申し上げる)
と、光源氏も感嘆するできばえでした。
ちなみに、装束になる前の布は、用途によって織物であったり、砧で打たれたものであったり、色々であったようです。染めたり仕立てたりするのは、貴族女性が自分たちで行ったようで(もちろん、大勢の侍女たちに指図しながら、ですが)紫の上の他に、同じく光源氏の妻である、花散里も染め物上手として紹介されています(野分巻)。
夫が、目の前で自分と他の夫人のための服を選んでいる・・・
現代の価値観からすると、ちょっと、すごい光景ですよね。
紫の上は、性格も最高にすばらしい女性として物語に描かれているので、恨んだり怒ったりすることはありません(笑)。
紫:「いづれも、劣りまさるけぢめも見えぬ物どもなめるを、着たまはん人の御容貌に思ひよそへつつ奉れたまへかし。着たる物のさまに似ぬは、ひがひがしくもありかし」
(どの装束も、劣り優りの差をつけられないもののようでございますから、お召しになる人のご器量に似合うように見立てて、差し上げてください。着ている物が人柄に合わないのは、みっともないことでございます。)
と、装束の価値はどれも同じなので、純粋に似合うか似合わないかで決めるように、光源氏に進言します。
すると、光源氏は
光:「つれなくて、人の御容貌推しはからむの御心なめりな。さて、いづれをとか思す。」
(さりげなくしながら、他の女性たちの御器量を推し量ろうというおつもりのようですね。さて、ご自身はどれを、とお思いになりますか。)
と紫の上が他の女性の容貌や雰囲気、人柄などを装束から推量しようとしているのではないか、と指摘します。(同じ六条院に同居しているとはいえ、広い邸内の奥深くに住んでいて物語のこの時点では、紫の上と他の女性たちはまだ対面を果たしていないのです。)
光源氏の指摘は、多分図星だったのでしょう。紫の上は、
紫:「それも鏡にてはいかでか」
(鏡でみただけで、(自分で)どうして決められるでしょう)
と言って、「さすがに恥ぢらひておはす」(そうはいっても、やはり決まり悪い様子でいらっしゃる)。
紫の上は、あくまで可愛いのです!絶対に逆ギレしたりすることはありません。
さて、光源氏が選んだ装束は以下の通りでした。
紫の上:「紅梅のいと紋浮きたる葡萄染めの御小袿、今様色のいとすぐれたる」
(紅梅のくっきりと模様が浮き出た薄紫色の小袿、濃い紅のとてもすばらしい(袿?))
明石の姫君(源氏の娘。紫の上養女、明石御方の実子):
「桜の細長に、艶やかなる掻練」
(桜襲(表、白/裏、紫か蘇芳)の細長。やわらかく練った絹(袿?))
花散里:「浅縹の海賦の織物、織りざまなまめきたれどにほひやかならぬに、いと濃き掻練」
(薄い縹色(藍色)の海賦(波・貝など海辺の風物を様式的な模様にしたもの)、織りが優美だけれども、派手ではないもの(小袿?)に、とても濃い色のやわらかく練った絹(袿?))
玉鬘:「曇りなく赤きに、山吹の花の細長」
(曇りなく赤い(袿?)に、山吹(表、朽葉/裏、紅梅か黄色)の細長)
末摘花:「柳の織物の、よしある唐草を乱れ織れる」
(柳織り(横糸白/縦糸萌黄)の、唐草模様を散らして織りだしてある袿)
明石の御方(源氏の妻、紫の上・花散里に比べて出自が劣る):
「梅の折枝、蝶、鳥飛びちがひ、唐めいたる白き小袿に濃きが艶やかなる重ねて」
(梅の折枝に、蝶や鳥が飛び交って、舶来風の白い小袿に、濃紫の艶のあるの(袿?)を重ねて)
空蝉(源氏のかつての恋人、出家している):
「青鈍の織物、いと心ばせあるを見つけたまひて、御料にある梔子の御衣、聴色なる添へたまひて」
(青鈍(青みがかった縹色)の織物、とても趣味のよいものを見つけなさって、光源氏自身のお召料にあった梔子色(黄色)の(袿?)と、聴色(濃い紅)のものも添えなさって)
女性の装束について、立ち入ると大変なことになってしまうので、袿はいわゆる「十二単」の重ねの中側に何枚か重ねて着るもの、小袿や細長はその上に着る上着で、貴人がちょっと改まった時に着るもの、ぐらいに理解していただければと思います。(普段着の時は、小袿や細長は着ず、袿が一番上になります。)
明石の姫君はまだ少女なので、子供が着るにふさわしいものを、空蝉は出家しているので尼衣として着られる青鈍・梔子の装束をそれぞれ贈られています。
また、花散里は、浅縹という地味な色の、「上品だけれどもはなやかでないもの」を、玉鬘には、若々しい黄色系のコーディネイトを選んでいます。
この玉鬘の装束を横目で見た紫の上は、
「内大臣のはなやかにあなきよげとは見えながら、なまめかしう見えたる方のまじらぬに似たるなめり・・・」
(実のお父さま内大臣の、はなやかで、なんとおきれいな方だと思われるものの、優美な感じがないのに似ているのだろう)
と、玉鬘の容貌を内心で推し量っています。なかなか手厳しいですね。
紫の上のその様子に気付いた源氏は、
「いで、この容貌のよそへは、人腹立ちぬべきことなり。よきとても物の色は限りあり、人の容貌は、後れたるも、また、なほ底ひあるものを」
(いや、人の器量を装束でなぞらえるのは、人の機嫌を損ねかねないことでしょう。よいといっても衣装の色はただそれだけのことなのだし、一方、人の容貌は劣っているといってもまた、深みがあるものなのだから)
と、なかなか含蓄のあることを言います。
でも、彼だって本当は、やっぱり衣装は容貌に見合ったものを、と考えているのです。
光源氏がこんなことを言ったのは、末摘花用の衣装を選ばなくてはならないからです。
唯一綺麗だった髪はいまや、白髪になって、それを取り繕うこともしない、末摘花。
でも、だからといってそれに見合うみっともない衣装を贈るわけにはいきません。
源氏が選んだのは「いとなまめきた」る(とても上品な)織物の袿。
思わず、苦笑せずにはいられない源氏。まあ、源氏じゃなくても、似合わないだろうな・・・と思わずにはいられないですよね。
さて、「衣配り」で最も注目されるのは紫の上と明石の御方に割り当てられた装束です。
紫の上用のコーディネートは、あまり強い主張のない、大和風の上品なものといえそうです。
対して、明石の御方用に選んだものの中には、唐風の白い小袿があります。
最近の研究では、いわゆる「遣唐使廃止」以後でも、大陸や半島との交易は結構盛んに行われていたことが分かってきました。
『源氏物語』にも唐物(舶来品)は登場していること、明石の御方は唐風のイメージを与えられた女性の一人であること、が指摘されています。河添房江さんという研究者が、『光源氏が愛した王朝ブランド品』(角川選書、2008年)・『源氏物語と東アジア世界』(NHKブックス)という本の中で論じていらっしゃいますので、興味を持たれた方はそちらをご覧ください。専門的な新しい発見がたくさん書かれているのに、専門外の方にも読みやすい、という大変お得な2冊で、おすすめです。
さて、明石の御方の装束に戻りますと、「唐風」なのであって、本当に「唐」で作られたものではないところが、肝要だったのではないか、と河添さんが指摘しておられます(『光源氏が愛した王朝ブランド品』181p)。
というのも、(これも河添書の受け売りですが)外国製品は、国内製のものより格上だからです。
明石の御方は、紫の上よりも格下の妻(注*)なので、国産の衣装(最上級品ですが)をあてがわれた紫の上は、面白くない。実際、明石の御方へ贈られる装束を見て、紫の上は「めざまし」(無礼な)と思っています。(「めざまし」は目下のものに対する不快感を表す語です。)この時代の身分意識からすれば、当然の感情だとおもわれます。序列に見合った待遇を受けているかということは、この時代の妻たちにとって切実な問題だったのです。
明石の御方に実際に贈られた装束は、あくまで「唐風」であって、おそらく国内で唐綾を意識して作られた可能性が高いのだろうと、河添さんは説明してらっしゃいます。
紫の上には和風の装束が似合う。明石の御方には唐物の装束が似合う。物語は、そのようにキャラクターを作っています。二人ともはなやかな美女であることは変わりないのですが、誤解を恐れずに、おおざっぱに言ってしまえば、紫の上の方が親しみやすい「かわいい系」、明石の御方の方は高級感あふれるスタイリッシュなイメージ、といったところでしょうか。
確かに、紫の上が言うように、そして光源氏が内心賛同しているとおり、人は似合う物を着た方がいいし、光源氏が選んだそれぞれの衣装は、贈られる人の雰囲気を何らかの形で、反映していたのでしょう。
でも、ただ似合えばいい、というものではないのですね。
似合うから、といって明石の御方に本物の唐綾の装束を贈ってしまったら、妻たちの秩序関係を混乱させ、紫の上のプライドや名誉を取り返しのつかないほど傷つけてしまうことを光源氏はちゃんと承知しているわけです。
実は、私は今までこの場面たいして考えず読み流していたので、河添説に出会って、目を見開かれる思いでした。
光源氏、すっごく考えて贈り物を選んでいるんじゃない!!
自分の選んだ装束が、妻たちに似合うことと、妻たちの序列に相応していること、の両方を両立させているのですね。(それでも紫の上は、光源氏が明石の御方を「唐風が似合う雰囲気である」と判断したことにプライドを傷つけられた思いでいますが、さほど深刻ではないでしょう)
以前、ある会社の偉い方が、部下の女性たちにお土産を買う際に、例えば化粧ポーチなら化粧ポーチで、それぞれのイメージに合う柄を、女性の側の上下関係(役職とか勤務年数とか)に応じて少しずつ値段を変えながら選ぶ、と聞いたことがあります。
さすが千年前も今も、人の上に立つ人は、贈り物上手なのだな、と感嘆しました。
男性(特に偉い男性)が選ぶ贈り物が、女の側の秩序を乱すと、女性たちは本当に困るのです。
□贈り物上手は贈りっぱなしではなくて・・・
さて、自分が選ぶ装束から女君たちの器量を想像しようとする紫の上を牽制しておきながら、実は内心女君たちにふさわしい装束を選んだと自負している光源氏は、「げに似ついたる見むの御心」(器量にふさわしい女性たちの晴れ姿を見ようという思惑)で、正月には贈った装束をお召しになるように、と女性たちに連絡をしていました。
元旦の日、光源氏は紫の上と一緒のいつもの居所を出発し、女君たちに会うべく六条院を巡回します。(初音巻冒頭)
まず、明石の姫君のもとに。
ここでは、幼い姫君よりも実母明石の御方からの和歌がクローズアップされています。
姫君は、将来のため実母と別れて紫の上に養われているのですが、娘に会えない明石の御方の嘆きに焦点があてられるのは、この後の場面のための伏線でしょう。
次に花散里のもとへ。
もう実質的な夫婦関係のない光源氏と花散里ですが(・・・って、物語にはそんなことまでちゃんと書かれているんです・汗)、二人の間を遮る几帳をちょっと押しのけて光源氏が見ると、想像したとおり、縹を地味に着た花散里がいました。
花散里は、年をとって髪も薄くなっているのに、それを鬘でひきつくろうこともしない様子です。
それでも源氏は、盛りを過ぎた女性を世話している自分の心長さと、光源氏をすっかり頼りにして従順な花散里に、それなりに嬉しく満足しているのでした。
その次には、花散里のもとに引き取られている玉鬘の居所へ。
こちらは、光源氏の期待以上に美しく部屋を整えて暮らしていました。
玉鬘本人も、
あなをかしげとふと見えて、山吹にもてはやしたまへる御容貌など、いとはなやかに、ここぞ曇れると見ゆるところなく、隈なくにほひきらきらしく、見まほしきさまぞしたまへる。
(まあ、なんて素敵なのだろうと、目を見張る美しさで、山吹襲の装束で、いっそうひきたつご容貌は、実にはなやかで、ここが瑕と思われるところは全くなく、隅々まで輝くような美しさで、いつまでも見ていたいご様子でいらっしゃる)
玉鬘は、義父源氏から言い寄られていることを、結構深刻に悩んではいるのですが、生来の明るさとはなかやかさの持ち主で、源氏が選んだ山吹襲の若々しく派手やかな装束は、彼女の美しさを実に良く引き立てました。
「衣配り」の成功例ですね。
最後に明石の御方のもとへ。
夕方になって、源氏が最後に明石の御方のもとへ渡ると、室内からは上品なにおいが漂ってきます。
明石の御方自身の姿は見えず、「どこにいるのだろう」と見渡すと、草紙や琴が無造作に置かれているのが、また実に趣味がよく、さっきまで書いていたと思われる手習いの反故も無造作に置かれています。
光源氏がそれを手に取ってみると、見事な筆蹟で、彼女の歌や古歌が優美に書き散らされています。
めづらしや花のねぐらに木つたひて谷の古巣をとへる鶯
(珍しくうれしいことです、花の咲くすばらしいねぐらに住んでいながら、谷の古巣を訪れてくれた鶯よ)
光源氏は、最初に明石の姫君のもとに行った際、明石の御方からの文に返事を書かせていたのでした。娘からの返事が合った感激を、明石の御方は和歌に詠んでいたのです。
それらの和歌が書かれた紙に、光源氏も歌を添えようとしていると、明石の御方本人が、いざりながら登場しました。
もちろん、源氏が贈った白い唐風の小袿は、明石の御方の気高い雰囲気をいやましにまして、見事な調和を見せていました。光源氏の思惑は、完璧な形で達成されたと言ってよいでしょう。光源氏は、この晩、新年早々明石の御方のもとに泊まってしまいます。
ここで一つ疑問。
光源氏が入ってきたとき、明石の御方は何か用事でもあって席を外していたのでしょうか?
答えは、想像するしかありませんが、多分NOです。
光源氏が入ってきた時の、部屋の中に置かれた物の無造作さも、計算された無造作さ、演出された無造作さに思えてなりません。
洗練を極めた趣味の良い部屋だけれども、少しだけ生活感を出すことによって、わざとらしくなったり、居心地が悪くなったりするのを避けようとしたのではないかと思います。
そして、その部屋の趣味の良さを、光源氏が堪能するための、間をおいてから部屋の主が登場する・・・
この不完全な部分までを含めて計算され尽くした、完璧な演出、ちょっと怖いですよね。
でも、明石の御方の側にも言い分はあるのです。
実の娘と引き離され、今で言うところの養育権や教育権も、完全に取りあげられた明石の御方は、珍しく貰えた娘からの返事が本当に嬉しかったのです。
そして、その返事が光源氏の指導によって、書かれたことももちろん承知していました。
だから、光源氏にその喜びを伝えてお礼を言いたい、でも直接伝えて物欲しげになったり、恨みがましくなったりすることは許されない。
だから、光源氏に直接お礼を言うのではなく、明石の御方自身の気持ちを書き留めた手習いを、(自分が不在の間に)光源氏に勝手に見てもらう、そうすれば失礼にならずに、自分の気持ちを伝えられると考えたのだと思われます。
明石の御方にとって、本当に嬉しかった贈り物は、唐風の小袿ではなくて、娘からの手紙だったのだろうと思います。
そして、この誇り高くて風流な女性は、“贈られる”のもとても上手だったのでした。
さて贈られる側の振る舞い、といえば、例の贈り下手のあの方は、贈られるのももちろん下手でした・・・
源氏は、正月行事が落ち着いたころに、二条東院(末摘花と空蝉の住む別邸)も訪問しています。皆さんの期待通り、すさまじい格好で光源氏を迎えた末摘花について、知りたいかたは是非「初音巻」をお読みください。ここで、紹介するとまた大変な蟻地獄に嵌ってしまうので・・・
以上が、贈り物上手の光源氏が、六条院や二条東院の女性たちに装束を贈った「衣配り」の概要です。
少し昔までは、光源氏のように出世をして大金持ちになって、複数の美しい女性たちを自邸に住ませ養うのは、世の男性の見果てぬロマンだったようです。
(あっ、でもこちらには、実現してしまっている方がいましたね!!
こちらのコラムを拝見するたびに「現在の六条院」!と思います。もちろん情況も条件も様々に異なって、簡単に重ね合わせることはできないのですが、でも「衣配り」的なことも行われているようですし)
でも、世の「草食男子」くんたちは、「六条院の衣配り」をどのように読むのでしょうか。
「一人でもめんどくさいのに・・・・・・」
という声が聞こえて来そうですね。
そうなのです!
複数の妻を持つのも、彼女たちに上手に贈り物をするのも、大変な費用と労力がかかることなのです。
でも、それをさらりと楽しんでやってしまうのが、光源氏なのです!!
だんだんと、光源氏の魅力が理解され難い世の中になっていって(それは、女性が自立できるようになった、ということで喜ばしいことでもあるのですが)、私たちはますます当時の感覚に立ち返って物語を読まないと、理解が及ばないようになってしまっているのだな、と実感します。
最後に、一つだけ強調しておきたいのは、複数の妻を持つことが認められていた当時においても、光源氏のように妻たち全員を、それぞれの分に応じて大切にし、かつての恋人の面倒まで見ることが出来る財力と才覚を持った男性なんて、実際にはほとんどいなかっただろう、ということです。
そのような時代背景の中で、複数の夫人をもつ夫として、面倒見良く、女性たちへの細やかな配慮を忘れない光源氏の様は、当時の女性が願う、男性のあるべき理想を具現化したものとして描かれているのだと思います。
にもかかわらず、光源氏の妻として生きた紫の上や明石の御方、花散里たちが、そんなに幸せそうではない・・・という皮肉を、物語は描いていく訳ですが・・・まあ、この話はいずれ。
長々と続けてきたこの「贈り物シリーズ」、最後にもう一回だけ書こうと思っています。
それでは、今週はここら辺で。
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『源氏物語』本文の引用は、阿部秋生ほか『新編日本古典文学全集』本(全6冊)によっています。
注:この時代の、結婚をいわゆる「一夫多妻制」と呼べるのかどうか、議論が分かれるところです。立場によっては、花散里や明石御方を「妻」と呼ぶべきでない、とする研究者もいますが、私は「妻」の語をそんなに厳密に用いなくてもいいのではないかな、と思っています。ただし、妻たちが皆同等に扱われたのではなく、身分等によってある程度の序列があったことは重要なポイントだと思います。