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僕は距離感の作家だと、自分では思っています。
どこまでも近づきながら、果てしなく遠ざかる…
ただひたすら無防備で想いの中へ突っ込むことしか知らなかった頃
最優先事項だったはずの、その切っ先が鈍っているのか鋭利なものか
その開いた切り口が激しいものであるかどうか…
それは今ではもう、どうでもいいことのようにも思えています
突き刺し、抉るばかりでは届かない場所があることを
今は知っている、、知ってしまった..ような気がしているから。
前回では個展でのポストカードのお話を書きました。
今回もまたその続きという感じで…この写真展では
実はもう一枚、ポストカードを制作することにしています。
もちろん、ハイマッキンレーを使った初回のポストカードの
仕上がりには満足しています。これくらいの高級紙を使って
写真との組み合わせでこれだけの効果をもたらすものは、
もう創れないかもしれません。
ただ一つだけ、気になったところ…それは「厚み」。。。
今まで僕が制作して来たポストカードを見てみると、かなりの厚みがあります。
もちろんそれは、誰かにとってその時その時のポストカードが
ずっと残しておいてもらえるものになれたら…
という意図があっての「厚み」でもあります。
その大部分は200kg〜220kgくらいの紙厚のものを使っていますが
今回もまた230kgという厚みがあります。ただコート紙ではないせいか
今までのものより「紙の腰」という点で少し弱い…そこがどうにも気になってしまい
ポストカード第2弾を制作することにしました。
これは、まだどこにも発表していない情報で、このコラムで
初めてお伝えすることになります。
これが、写真展「深入り」の第2弾となるポストカードです。
ハイマッキンレーのような高級紙は使わずに従来通り、
マットコートで230kg、厚みと腰のあるものにします。
それに使うこの1点は、元々作品にするとは思ってはいなかった1点です。
これが本邦初公開となります。
僕は距離感の作家だと、冒頭で書きました。
先行フライヤー、初回ポストカードと来て、この第2次のポストカードと
見て来ると、その遠近を往来する感覚と、この写真展の「全貌」と呼べるものが
露わになって来たようにも思えます。
いつ終わるともしれない擦過の繰り返しで擦り切れて行く想いと心.
果たしてその想いに迫っているのか、逆に遙か遠くにいるのか
正しいことなのか間違っているのか…傷ついているのか傷つけているのか…
時々自分でも自分の位置を見失いそうになりながら撮り、創って来た作品たちです。
写真作家として、また人間として、人の想いや心に触れたとき
ただ近づき迫ることと、突き放して遠巻きに眺めることとを対比させ
自分の中で何度となく問いかけ、溶け合わせ、ない交ぜにしたとき…
初めてそこに「深入り」している自分に気付くのか…と思っています。
「そこ」というのは、それは特別意識して今始まったことでもなく、
「誰か」に深入りすることでもなくて、すごく規模の大きな「何か」…
もっと言えば「写真」が内包する事象そのものの中へ入ろうとする行為として
深入りして行こうとして来た自分がいるのではないか…
無謀とも、中途半端なまま心などに触れるべきでないとも指摘されたこと
なるほどそこまで深く入らなければ、壊さずに済んだこと、深手を負わずに済んだことも
きっとあったでしょう。。。
心ごと身体ごと近接することなく、広角から望遠までをカバーするズームレンズのように
遠近を表現することが出来たなら、ずっと楽だったかもしれない…と自分でも思います。
でも人の心や想いというものは、それだけで現されるほど安易なものではないとも思います。
写真展「深入り」…その全貌が少しずつ、姿を現して来ました。