ご縁でございますよ…
先日のことでございます
地元の文化を知るということを
どちらの地域の学校も
されている事と思います
愛媛県 内子町という地域では
和紙作り体験
和紙の凧制作
山間地での農家との交流
野菜・米作り
近隣の川の生物調査
…
他にも
町の国際交流協会の海外派遣講師の方との文化交流など
結構プログラムが多彩にあります
息子たちが学校に行き
PTAに加入していなかったら
こういう事情はわからなかったかもしれず
感じ入る次第であります
さて ここで 東京の学校だったら どうなるのかというと
「ヤク◎ト」とかの企業工場見学
スーパーや コンビニでの買い物授業など
それから クラシックコンサートや歌舞伎鑑賞教室などです
この内子町で 出来ないことといったらなんでしょうか?????
「歌舞伎鑑賞」くらいです
「文楽」は 内子座文楽が8月にある関係で
隔年ではありますが中学校などで体験教室をしてくれています
歌舞伎の題材は結構文楽と共通ですので
古典を知る意味では
一番いいやり方だと思います
だから
経験できない事とは
なんでしょうか
ものすごい車が行き交う通学路をドキドキしながら通うことでしょうか
乗れないかもしれない不安に毎日緊張する電車通学?
私の経験の話ですから不愉快に思う事があったら ごめんなさいね
でも
体の感覚を ある意味 低いレベルに落として
都市部では生活する事が常識になります
たとえば
聴覚は
あらゆる方向からの「宣伝」や「機械音」にさらされ
なかば 「あきらめ」「無視する日常」「感性の抹殺」状態であり
個人というものへの攻撃を高める気がします
そういうことで 抵抗できない個人としての自分の場所をどうやって確保するのか
考えてみた事がありますか?
臭覚
交通事情により色々な大気中のものを遮断する鼻の働きは
個人差もあるでしょうけれど
地下道・大規模建築物・道路や工場の風下地域にいると
すごい色んなものを体内に入れないように
普段頑張っていることでしょう
しかも
ほとんど 実感する事はありません
そうです 私がそういう日常でしたから…
東京に住んでいる時
地方公演に行くと
必ず
体の変化に気が付くことがありました
目の痛み
それと
皮膚感覚の違いです
目が痛いのは
夜でも明るいということの不快感から来ていました
私が子供の頃1970年頃です
その時代はまだ自動販売機がありませんでしたから
夜でもちゃんと暗かった
24時間開いている店も全く無いわけです
1990年頃から
大規模店舗があちこちの道路沿いに完成し
コンビニが町の角にあらわれて肉屋や酒屋、米屋が無くなりました
私の住んでいた豊島区の南長崎商店街が
シャッター通りに変身
のちに頑張って私の同級生くらいの世代が何とか持ちこたえて今に至りますが
いろいろな事が変わりました
環七に近い地域を通ると
決まって夜は眼が痛いと思いました
24時間開いている店と自動販売機
それと看板の明かりから来る
目を休める場所が無いせいでした
自宅に帰ると真っ暗にして
なんとか回復
また疲れ目にすぐなっちゃうのですがね…
そう
皮膚感覚というと
空調が影響していたんだなとこの愛媛・内子町に来てから
やっとわかりました
皮膚の感覚が
冷暖房のおかげで「遠く」なっていた事です
買い物に行くにしても
電車や地下道
それから店がある建物の空調に影響されるって事ですけど
「たぶんこれくらいが快適なんじゃないの」
ぐらいの意識で
もしかしたら都市部の空調は作られているんでしょうが
私にとっては絶対違う
今更
こんなことを書いても
まったく受付拒否でしょうが
「爪に色をつけると
皮膚呼吸が出来なくなる」
これがわかる体質の方にはおそらく通じると思いますが
腕が重く感じる
脳で呼吸が出来ていない
体で見ることができない
こういう感じでしょうか…
体調の悪さを
すぐに感じられなくなるということにもつながる気がします
さあて
先日
また 内子座で曲独楽をご披露させていただきました
写真はその時のスナップです
「一般には非公開」のものですが
内子町に住んでいると
内子座も身近なので
いいなあ~