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久々の「僕のジャグリング史」カテゴリの話で、
今回から3回かけて、JJF2008で3位という、僕の今までのジャグリング人生の
クライマックスとも言うべき4年間についての話をさせていただきたいと思います。
2005年にはじめてIJAのチャンピオンシップという、世界でもっとも権威のあるジャグリングの大会に挑み、
予選敗退をしてしまった僕は、2007年に再度チャンピオンシップに挑もうと、演技を一新することを決意します。
よし、まずは2006年のJJF(日本最大のジャグリングの祭典で行なわれる大会)を目指そうと、
この年東京開催のJJFの為に新しい演目を作って挑みます。
JJFのチャンピオンシップは、それまで出場者が少なく、
僕の記憶が正しければ2004年までは希望すれば誰でも出られたはず。
2005年より出場人数が多くなったのに伴い予選落選者が出るようになりました。
それでも、予選落選者は2005年はそうはいなかったはずで、
それなりの腕であることを自負していた僕は、2006年の予選も当然突破すると思って挑んだのですが、
結果は予選落選。
正直言って屈辱でした。
この年は、新鋭のシガーボックス使いが3位入賞をしたこともあり、
自分の技術の絶対な自信が、ガラガラと崩れ落ちる音を耳にしたような気がします。
いや、今振り返ってみれば、
本番になると極端に緊張してしまい、演技が崩れてしまうことや、あまり技の順を考えて組んでいないこと、
いくらでも理由は挙げられます。
しかし、当時の僕はそうは思わなかったし、
予選落選という結果に納得がいかない僕は、仲の良かったほかのサークルの先輩に
ものすごく愚痴をたらたらと言っていたもんでした。 (その節はすみませんでした……>K藤さん)
結局、2007年にIJAへ挑戦をしたのですが、
その年は、例年に無いくらいチャンピオンシップの出場者のレベルが高く、
(ジャグラー向けの情報→トーマス・ディーツ、ウェス・ペデン、ヴォヴァ・ガルチェンコ、マーカス・ファートナー、ピーター・アイリッシュなどが出場していた)
予選落選の結果にも「やっぱなぁ」というくらいにしか思えませんでした。
因みに、この頃から、ジャグリングの大会の予選はメディアの進化と審査員の負担軽減の目的から、
事前にDVDなどを送ってのビデオオーディション形式が取られるようになってきました。
JJFでは2007年に導入されたはずです。
ステージに立つと緊張してしまう僕にとっては、これはえらく有利であると思っていました。
ビデオ撮影でもある程度緊張はするものですが、一発勝負の予選会とは違い、
「何度でもやり直せる」ということから、精神的余裕ができるからです。
何度か予選のビデオを仲間と一緒に撮影し、かなり完成度の高いものが撮影できたのでそれを提出すると、
予想通り、この年は予選を通過しました。
(技術的には当時としては充分なレベルを持っていたわけですね。)
しかし、今度は、本番の演技がぼろぼろ。やはり後味の悪いものでした。
そういう意味で、この年もやはり「屈辱」を味わいました。
僕が最後にJJFの舞台に出たのは2002年のことで、
周囲の仲の良かったジャグラーが次々と結果を残していく中、自分ひとりだけが
取り残されているような、そんな気がして、
勿論「賞だけが全てではない」ということもわかっているつもりではあるのですが、
正直に書けば「悔しい」。その一言だけ。
何が悪いんだろうか?
いや、わかっているくせにそれを認めたくなかっただけでしょう。
ある日、偶然にも某イベントで、既に華々しくプロとして活躍していたシンクロニシティ(僕と同期のジャグラー。僕が初出場のJJFでチーム部門で金賞を受賞している)と出会いました。
「何が悪かったんやろうなぁ。」
「練習不足やろ。」
間髪をおかずにシンクロニシティのSヨシが答えました。
その一言、もしかすると何の気もなしにいった言葉なのかもしれないけれど、
「グサッ」という音とともに僕の心に突き刺さりました。
そう……確かにそれなりに練習はしていたつもりではあったけれど、本気で取り組んでいたかというと違う。
僕の場合は「練習」というよりは「遊び」。
2007年の優勝者、後輩のS(エス)は、演技を700回も通し練習をしたという話も聞いていました。
それを聞いたときは「はー、よくやるわぁ。」と思ったくらいですが、
まず、その時点で自分の不真面目さがわかります。
いったい僕はこの年何回練習したんだ?
どの技が苦手だという自己分析ができていたのか?
舞台の上に立つとあがってしまうというその精神の弱さ。
克服するために何かをしたのか?
「練習不足やろ」
その一言に、返す言葉がありませんでした。
そうか、僕は本気ではなかった。
今までずっと本気ではなかった。
これまで「遊び」としてしか考えていなかったジャグリングに対して、
真剣に取り組むようになった1年のスタート地点は、まさにこの日であったと思っています。