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先日、4人もの日本人アーティストが同時にグラミー賞に輝いたことに触発され、この4年間で初めて週間JUNKのトップに輝いてみたフィルコです。こんにちわ。愛してるぞ上原(ひろみ)。
なーんてことは良く聞くフレーズですが、殊、この国でそんなコトが言われたのはいったいいつぐらいからなんでしょう。いや、まさに私自身そう思うし、そうでなくてはならないと思っています。勿論バスケについても同じで、本コラムでも口を酸っぱくして、それはもう5秒おきぐらいに繰返し述べてきたのは紛れもない事実です。
ワタクシ自身のことを省みてみますと、中学生あたりからそういう考え方を耳にするようになってきたのかな。あー、でも小学生の時にキャプテン翼ブームが起きて「ボールは友達!」ってものあったな。なんとなく「スポーツは楽しげなもの」っていう感覚は、そういえばそのときにはあったなぁ。
いわゆる団塊Jrのど真ん中ですので、これはだいたい1980年代の中ごろの話。この国がバブル経済に突入し無双JAPAN状態になり始めたころですな。
日本人が「楽しむことへのうしろめたさ」を持たなくなったのは、ちょうどこの頃と言われています。テレビのお笑い番組やエロ番組が、ある種のうしろめたい空気を少しも纏わなくなったのもこの頃。おおっぴらにお金儲けをして、めいっぱい誇らしげに楽しんだりお洒落したりすることに、照れがなくなったのもこの頃。キーワードは、ワンレン、ボデコン、イジリー岡田。
今時のヤングなエブリワンには分りにくいかもしれませんが、それ以前、多くの日本人にとって、「楽しむこと」はちょっとだけ「申し訳ない」という気持ちとセットになっていたのだよ。それは子供心にもはっきりと理解されているものでした。
どういうイキサツでそうなったのかは、私にはわからん。「兵隊さん達が必死に戦っているのに」なのか「神様より楽しんだらバチ当り」のか、とにかくそうでした。質実剛健、質素倹約をヨシとする我々にとって、スポーツは鍛錬であり修行であり武道であったので、「楽しむ」ということはどちらかと言えばタブーに近いものだったんでしょうねぇ。スポーツとは「歯を食いしばって耐えるもの」。今でも体育会系文化にはそういう空気が色濃く残っています。あ、これは良し悪しを言ってるんじゃないのであしからず。
ものごとには本音と建前があって、それはたまに悪いことのように言われることもあるけど、建前は社会のためで、本音は自分や大切なひとのためで、矛盾や不条理がデフォルトの世の中で、ものごとを続けていくための知恵の両輪ですわね。2面性はあっていい。っていうかなきゃ生きていけん。生まれた場所や皮膚や目の色で、一体この僕の何が分るというのだろうと、甲本ヒロト神もおっしゃっているではないか。これは関係ないか。
文化的にどうもこの国にあまり根付きそうにない「スポーツ」が、曲がりなりにも一応の根をはっているのは、きっと「ホンネとタテマエ」がちゃんと機能していたからなんでしょうね。
そう考えると今は随分何事もストレートになったなぁと思うことが多いです。好きなら好き、嫌いなら嫌い。だからこうしていい年になったバスケ馬鹿が満面のアホ面で「ちょー楽しい」とか言っていられるわけですが(笑)。ただ、分りやすくて便利になった反面、グレーな隙間が無くなってしまうのはちょっと寂しい気もします。何事も。
と、この国の過渡期に青春を過ごした、とっつぁん坊やのたわ言でした。
歯を食いしばって「苦しい」って思いながら、実はその中にひそかな楽しみを見つけたりする不健康な喜びも、スポーツの魅力の一つだよねぇ。
女子部活の体育会系サバサバの裏側に垣間見る、ちょいお耽美な雰囲気とかね。
うへへ。