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桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。
(梶井基次郎『桜の樹の下には』冒頭より)
こんにちは、タモンです。
初めてこの作品を読んだのは中学生だったと思います。授業で取りあげられたような、違うような……。そのあたりの記憶が曖昧です。桜の花が薄紅色なのは人間の血を吸っているからなんだ!と知った瞬間は強烈だったなぁ。桜と死が結びついた体験でした。
坂口安吾『桜の森の満開の下』を読んだのは高校生の時だったような気がします。「桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になります」という冒頭から、全体を漠然とした不安が彩っていました。初めて読んだ時は、安吾が基次郎のオマージュとしてこの文章を書いたことに気がつかなかったです。
現在だと桜はソメイヨシノがポピュラーになりましたが、この品種は明治時代に品種改良されたものです。和歌・物語などの「古典」で描かれる桜はソメイヨシノではなかったのですね。古典の桜は山桜とする説があります。「山桜」が具体的にどのようなものだったのか検証の余地があると思われます。
今回、在原業平の和歌をご紹介したいと思います。
詞書「堀河大臣の四十の賀、九条の家にてしける時によめる」(【訳】堀河の太政大臣(藤原基経)の四十の賀が、その九条の邸で催された時に詠んだ歌)。
石川啄木風に改行してみます。
桜花
散りかひくもれ
老いらくの
来むと言ふなる
道まがふがに
(『古今和歌集』賀歌・349番歌)
【訳】
桜の花よ、散り乱れて空を曇らせよ。老齢がやってくると人々がいう道が、花で隠されてわからなくなるように。(新全集に拠る)
業平の桜の歌といえば、
世の中に
絶えて桜の
なかりせば
春の心はのどけからまし
(『古今和歌集』春上・53番歌)
が知られています。
桜の花をみれば嬉しくなり、散るさまを見るともの悲しい気持ちになるので、春に桜さえなければ私の心をざわつかせることはないのに……。という思いを詠んだ歌です。
桜の存在が人の心を波立たせるのだ、とこの歌を詠んで思いました。
初めて詠んだとき、私の想像はもちろんソメイヨシノでした。この歌のイメージとソメイヨシノはピッタリなのですが、平安時代の人々はどんな「桜」を見つめていたんでしょうね。気になるところです。
さて、「桜花…」の歌ですが、この歌は賀歌です。つまりお祝いの歌。
めでたい歌なわけで、本来ならば、最初に言った基次郎や安吾のイメージとリンクすることがないです。
が、タモンは、初めてこの歌を詠んだとき挽歌だと思い込んでしまったんです。
高校の便覧だったと思います。
桜の花片が目の前を「散りかひくも」るほど埋め尽くしていて、死出の道行を阻んでいる画が浮かびました。あの時は「老いらく」の意味がよくわからなかったからでしょう。
それにしても「散りかひくもれ」というたたみかける表現が好きです。
大切な人の死を受け止めきれない者が、桜を見ながら、その人の魂が冥界へ行ってしまうのを桜よ止めておくれと願っているような感じだったのだと想像していました。
「老い」が向こうの道からやってくるという考えは面白いと思います。老年というものが人を老いさせるという俗信があったようです。
季節の「秋」が空か山の中の道を通って訪れるという歌もあります。
この歌は、「老い」が訪れる道を桜の花で覆い尽くしてくれという願い、つまり年を取らずいつまでも元気でいてくださいという願いを詠ったものです。
老いと死は近しいものといえばいえるのですが、歌の意図は私が想像した内容と真逆でした……。
今から思えば、基次郎や安吾を読んでたり、桜は儚いもの、という先入観からだったんだなぁ、と分析します。「サクラチル」っていう言葉は知っていましたしね。
オチというオチがあるわけではないのですが、
タモンのなかで桜は滅びの感覚と結びついているのだなあと改めて思った次第です。
牡丹や桃の花が好きというのと、桜が好きというのはちょっと違う気がします。
桜は花そのものを愛でるというより、
その背後にある世界が愛されているような気がするんです。