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高校生の時の事です。
僕はあまり勉強をする子ではなかったので、授業を聞かずに遊んでいる事が多かったのですが、遊んでも大丈夫な先生と、遊んだら怒られる先生がいましてね…
遊んでも絶対に怒らない先生の授業の時にいつものように同じような子達と何かをして騒いでいたのですがその先生がある日、急にキレ出しまして…
『お前らは自由という言葉をはき違えてる!!』
…と、その大人しい先生からは聞いた事も無いような大きな声で怒鳴られまして~、その先生が黒板に怒りの筆圧でチョークを砕きながら…
自由
…という文字を書いたんです。
ぶっちゃけた話、その後の話は馬の耳に念仏状態で全く覚えていないのですが…
なんかたまぁに思い出すんですよね。その時の先生の言葉と黒板に書いた『自由』って文字を。
僕は昔から自由に生きるというコンセプトを持ち続けているような奇特な人間ですし、結局今も、自由なイメージがありそうな声優という職業に就いています。自由に生きる事をモチベーションとして頑張っているような感じもあります。
高校生の時に追い求めていた自由という形と…今、声優として生きている自由という形は…当たり前ですがやっぱり違っていると思います。
やりたい事を仕事にしている、声優という職業に就いている…という僕を『自由に生きてていいね』なんて思うような人も多いと思います。
果たして声優という職業がそんなに自由な職業なのでしょうか?
自由と言えば自由、不自由と言えば不自由。
とどのつまり自由なんだと思います。
自分が思うがままに自由に声を発してそれが受け入れられればお金になるし、それが受け入れられなければお金にならない。
ただ、受け入れてもらえるような表現を提供する為に、時にはある意味自分の意図とは違った表現を提供しなければいけない事があります。
それを高校生の時のようにやりたい事しかやらないという子供じみた自由を主張し続けてしまっては仕事になりません。
自由に生きるという事をコンセプトにしている僕にとっては不本意なことかもしれませんが、自分が自由でい続ける為の不自由だという事で自分を納得させています。
話は戻りますが、その先生が言った『自由をはき違えている』という言葉通り、はき違えた自由を自由だと思っているとこの仕事で飯を食うというのは難しいような気がします。
自由!
とにかく自由でいられるように日常を頑張る事…という感じな答えしか今の所の僕ちゃんには思い浮かびません。
頑張ってしまっている自分というのが果たして自由なのかどうか。
頑張りたいから頑張るのであってそれはそれで自由…なのでは無いでしょうか。どうでしょうか?
若干何を言いたいのかわからないような感じになってきました!いつもの事ですね!はい!わかっています!
(;゚Д゚)ヒイ
自分なりの自由を追い求めて頑張りたいと思います!
それではまた!
ヽ(*´∀`)ノ サヨナラ