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2010/01/06

妻と子供に囲まれ、幸せいっぱいだった年明け、一通のメールが届きました。

「ツェパリッツ教授が亡くなったみたいだよ」

ライナー・ツェパリッツ教授、フルトヴェングラーからカラヤンを経てアッバードまで3人の音楽監督の下で演奏し、楽団長まで務めた元ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席コントラバス奏者。私がベルリンへ留学していた1年半師事した師匠です。日本にも東京都交響楽団やNHK交響楽団、仙台フィルハーモニーなどにお弟子さんが多数活躍しています。たった一度講習会で習った程度で履歴書に「ツェパリッツに師事」と書いている人はたくさん見かけますが、多分きちんと毎週定期的にレッスンを受けた日本人の生徒としては私が最後にあたるのではないでしょうか。

その先生が、昨年12月23日にお亡くなりになられたそうです。
  
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私は音大生時代から当時のベルリンフィルの低弦のサウンドが大好きで、卒業したら絶対ツェパリッツ先生に学びたいと考えており、実際卒業式を終えてすぐにベルリンに渡りました。

初めてのレッスンでは「右手が全然ダメだ、やり直し」と言われ、最初の一ヶ月で開放弦のロングトーン、次にスケールばかりやらされて帰りたくなった時期もありました。それでも先生は3時間のレッスンを週2回も見てくれましたし、行く度に「もっと綺麗なズボンを買いなさい」「ビールを運んでくれたから今日はサービス」「今夜良さそうな演奏会があるからこのお金で行ってきなさい」などと言ってレッスン代を受け取ってくれない事もよくありました。ベルリンフィル首席ですからレッスン代はお小遣い程度だったに違いないのですが、その粋な断り方には改めて感嘆させられます。

先生はとにかく多忙な方でしたが、先生が指導するドイツ国内での講習会には呼んで貰いましたし、日本に指導に行く際には「里帰りも出来るし、たまに母国で仕事をしておけば日本での顔を売る良い機会になるから」と将来的な事まで見据えて一緒に連れて行って下さいました。

レッスンでは技術的な事ばかりか「音楽家は夢を与えるのも仕事だから、もっと服装に気をつけて」「自分に聴こえる音で判断せず客席にどう響くか考えなさい」「この交響曲のこの場所、フルトヴェングラーはこのように指示したがカラヤンはこうだった」など、実に幅広く知識を与えて下さいました。先生と一緒に日本に一時帰国した際には、お願いして私の母校東京音楽大学で公開レッスンを開いて頂いた事もありました。

諸事情により私は1年ちょっとで留学から帰国しましたが、その後もサイトウキネンオーケストラなどで元気な姿を拝見して力を分けて貰っていたものです。

先生の「ベルリン奏法」は賛否両論で、先生と一緒に弾いた事の無い人などから批判の声を聞く事もありますが、私は「楽器を鳴らす、響かせる最良の奏法」と考えています。残念ながら私は一度音楽の道から遠ざかった事で、胸を張って「ツェパリッツ先生の生徒だ」と言うほどの地位には居ませんが、今なお先生の音、奏法を愛する事にかけては胸を張れます。
 
 
今回の訃報を耳にしたとき、本当に色んな思いが身体を突き抜けていきました。

ベルリンへ留学していた期間は未だに人生で最も充実した、楽しい瞬間でしたし、先生にはいくら感謝しても足りないほどお世話になりました。何のお礼も出来ないうちに、何の成果も見せられないうちにお亡くなりになられたことは残念で仕方ありません。これから私がどれだけの時間楽器に関われるか分かりませんが、可能な限り、先生の音楽を、奏法を体現していけたら良いなと思います。
 
 
合掌。
  

2010/01/06 10:08 | sumi | No Comments