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そういえば 2月に 入ってから
すっかり春らしくなってしまい
愛媛県の内子町に
「住まわせてもらっている曲独楽師」 としては
苦手な方面の作業が はかどって仕方がない…
何なのかは
読者諸氏には お知らせできないのですが
例えるなら
夜中の2時に 家族が寝静まってから コマの心棒を ビカビカに磨いて…
…というよりは…
適度にクリアな寒さの中で
宅急便のお兄さんが父の 源氏太郎からの南長崎商店街のおせんべいを
届けてくれる時間帯に お日様の下できっちりと調整された曲独楽…
…のほうが…
ずっと
技術の確認作業とか
後進の指導やらにとっては
どんなにか 良い影響が残せるはずなのであり
だいたいにおいて
師匠が亡くなってしまってからの 弟子たちというのは
どんな時にでも
記憶の中や 身体に染み入っている師匠の姿との対話
それと 自分と仲間の刺激のし合いの蓄積を
自分がどう次へつなげていくのか
そういうことを 師匠と同じく自分が死ぬまで続ける事になるから
「これこそ」
「ここここ」
という 自分の感覚が
日常においても
どう仕事の自分と それが
関係をつくっているのかを
本当は 真剣に 考えてやっていくべきなのかなと…
住んでいる環境が 人間にとって快適であるという事は
極めて大切な事だ
空気が汚れている
水が変わった
太陽が目に痛くなったのはなぜだ
くしゃみと鼻水の理由は何だ
どうして最近の東京近辺の野菜には味がなくなったのか
街路樹の葉が輝かないのは煤塵のせいだったのか
考えないというか
しらんふりするというか
疲れているのか
それとも 何かに邪魔されていて気が付いていないのか
これは ずっと38年東京の西武池袋線沿線で育った私の感覚だから
まったくあてにはならない
だけども
太陽光は30年前まで 目が痛くなかったし
こんなにたくさん ポリマー ポリエチレン ポリスチレン 「ぽりぽり」してなかった
ロシアに隕石が落ちて
また ますます思う事
ちゃんと 目の前にあることを考えて 子どもに伝えよう
自分でわかんなかったら 近所の人に聞こう
それでもわからないなら 色々調べて
納得いくまで時間を掛けて考え続けろ…
どんな環境においても
人間の役割は きっと 評価するとか
見つめるとか
伝える事じゃなかろうか
ここには 意見の違いがたとえ生じたとしても
お互い 相手を 相手として 認めて
同じ時空間を共有するのだから
その時
力量で 互いのどちらかが 無くなったとしても
残ったら いなくなった者を
たたえることは
とても意味が深いと思う
それが人間の良さじゃないのだろうか
技術や医療の発達とか 先進とか 発見とか 言葉の表現があまりにも貧しい事は
ちょいと
芸 技巧 の方面を見習って もういちど
いい日本語を 作ってほしいな
だって それって「既にあった事を」「人間が言葉で表現する事ができました」って
だけじゃないのさ…