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博多では少しずつ春の気配…でもまだまだ寒い日が続きます.
このコラム、僕は月2度の更新を基本..というか原則にしているのですが
月の初めに書くと、この半ば頃になってなんだか更新してないかな…
って感じてしまいます.
仕事中や移動中、そして就寝のとき様々なところで
コラムのテーマや言葉を閃くことがあって、
月何回という枠に囚われず、なるべくそれを拾い集めながら
書いていければと思っています.
さて、今回は「息を、止める」.
僕と被写体さんがいて、周囲の空気
温度、湿度…気配..作品撮りの現場は
様々なものたちで溢れています.
そんな中、撮り始めてから一息つくまでの間、
僕はほとんど息を止めています.
これは意識してそうしようとしているのではなくて
もうずっと前から…気がついたらという感じで
作品というカタチで写真を撮り始めてからずっとです.
息を止めているのはちょうど1〜35、6コマくらいの間
それはたぶんフィルムが36枚撮りだった頃の名残でしょう.
「潜る..潜っていく」
そう例えるのが良いかもしれません.
何処へ…被写体さんの中、撮っている自分の中…
それは何処なのかわからないけれど
息をつく瞬間の、すごく苦しかったものから解放された感覚は
海の映画などでよくあるシーン、あの潜水から浮上したときの
暗い海底から日差しのある海面向かっていくような感じです.
それは撮影として自分が決めた時間、場所であることに
違いはない、だけどそこで起こること…
思わぬ化学変化、予想外の出来事.
次の瞬間、刹那何が起こるか解らない緊張感のようなものが
そこにあるからでしょうか…
そしてそのことのほとんどは僕も被写体さんも、
何が起こってどういうカタチになったのか
そしてそれがどう自分たちの心に刺さるのか…
未だ現場の時点では気がついていないのです.
ただ手応え、というようなものはフィルム時代からありました
ノーファインダーや超スローシャッターの多い僕の撮り方の中で
「あ、今のは良いのがきたかな…」というのは感じられます.
まして今はデジカメで撮るようになり、撮ったその場でモニタで、ノートPCで
確認はできるようになりました…
だけどより深いものを捉えたものは自宅へ帰り、
それこそ撮影から一息ついてから気がつくものがほとんどです.
それは、モノクロフィルムを現像して、暗室でプリントして初めて
気付くものがある..それはデジタルでも変わらないのだと思います.
レンズを向ける、シャッターを押す..息を、止める..
1から35の数字が刻まれる…その時間の中に何が詰まっているのか…
それをずいぶん長い間探し続けているような気がします.