« 秋の恒例行事 | Home | 色々な角度から眺める。 »
今回は、少しタイムリーな話題に触れておこう。
そう、この10月名古屋で開催されていた、COP10の話である。
この1ヵ月、その言葉は良く聞いたけど、そもそもCOP10って何よ?
というと、「生物多様性条約」を締約している193の国と地域を集めた、
10回目の締約国会議、という説明になるだろうか。
もう少し詳しいことは、オフィシャルなところに委ねることにしよう。
COP10支援実行委員会公式ウェブサイト
http://www.cop10.jp/aichi-nagoya/
自分としては、関心のある話だったので、
この期間、関連したニュースを追っかけたり、
名古屋に立ち寄った際には、情報発信ステーションを覗いたり、
その動向を注視してきた。
「生物多様性」と、自分の研究テーマである「ブータンの情報化」と。
一見、何の関連性も無さそうなものだ。
関連があるとすれば、「ブータン」という国が、
「生物多様性」の保護に非常に熱心な国である、という点だろうか。
国土に占める森林の割合が六〇パーセントを下回らないこと、環境を劣化させ、野生の動植物の生態を脅かす工業・商業活動の禁止などが法律で定められ、ブータンは自然環境の保護、自然資源の活用という面で、世界の模範例と見なされている。
(出典/今枝由郎『ブータンに魅せられて』、岩波新書、P129)
という評価もあるくらい、実は環境保護の急先鋒を務めている。
例えば、ブータン国内に生えている木は全て国家の管理下にあり、
自分の土地であっても許可無しに伐採することは禁止されている、とか、
それぐらいの本気度で、彼らは自然を守ろうとしている。
とはいえ、研究テーマと「生物多様性」がどう結びつくのかと言えば、
正直、たぶんあまり関わりは無い。
というより、研究者として、調べてみたいのはやまやまだが、
うかつに手を出すと火傷する分野であることは間違いない。
………………………………………………………………………
さて。
報道によると、今回のCOP10で採択された、
「名古屋議定書」の要旨は次の通りだという。
一、遺伝資源の利用で生じた利益を公平に配分するのが目的。
一、遺伝資源と並び、遺伝資源に関連した先住民の伝統的知識も利益配分の対象とする。
一、利益には金銭的利益と非金銭的利益を含み、配分は互いに合意した条件に沿って行う。
一、遺伝資源の入手には、資源の提供国から事前の同意を得ることが必要。
一、多国間の利益配分の仕組みの創設を検討する。
一、人の健康上の緊急事態に備えた病原体の入手に際しては、早急なアクセスと利益配分の実施に配慮する。
一、各国は必要な法的な措置を取り、企業や研究機関が入手した遺伝資源を不正利用していないか、各国がチェックする。
これを読んで、
「あれ、COP10は、生物多様性を守るための会議じゃなかったっけ?」
「なんか遺伝資源とか利益とか、きな臭い話ばっかじゃない?」
という疑問を抱くヒトは、たぶん正常な思考の持ち主だ。
と同時に、少し分かった風な言い方をするならば、
いわゆる「エコ」ブームと、「生物多様性」の話を混同しているヒト、
と近似であると言ってもいい。
「エコ」と「生物多様性」は、似て非なるモノ、
というか、むしろ真逆のモノ、と言ってしまってもいいかもしれない。
「生物多様性」を守る、というのは、身も蓋も無い言い方をするなら、
「人類にとって価値がある遺伝資源を巡る利権の奪い合い」の話であり。
「自然を生かさず殺さず搾取し続けるにはどうしたらいいか」の話だ。
先進国は、長い工業化の歴史の中で、多くの自然を既に失ってしまった。
一方、発展途上国は、いまだ未開の自然を多く有していることが多い。
そして、その自然の中に、遺伝資源と呼ばれる宝物、
例えば病気の特効薬になり得る化学物質などが眠っていることが、
近年の遺伝学研究の発展の中で明らかになってきた。
そうして生まれたのは、
先進国と発展途上国、搾取する側と搾取される側の対立の図式。
発展途上国には、自国でそれらの資源を活用できるだけの技術力が無いが、
かといって、黙って自国の資源を持ち出されてばかりでは堪らない。
そうした対立の和解案を探ること。
それこそが、今回のCOP10の、ある意味唯一の議題であったわけだ。
「豊かな地球の自然を守ろう」とかいう綺麗事は、そこには存在しない。
存在しないというか、そういう根本的な問いをあれこれ議論するよりも、
より差し迫った卑近な話題を解決しなければならない、
というのが、政治家が求められている責務、ということになるだろうか。
………………………………………………………………………
そもそも、なぜ「生物多様性」を守らなければいけないのか。
上記のような経済合理性以外の理由で、
なるほど、と万人が納得できるような解を、
たぶん人類はまだ上手く見つけられずにいる。
いや、人類が見つけるべきなんて、
それこそが奢りというものだ、という気さえもする。
ただ。
ヒトは、米を食べ、肉を食べ、魚を食べ、野菜を食べることで、
その生命を維持している。
自然の食物連鎖無しで生きていけるほど強い生物ではない。
ブータンの第4代国王の言葉が、それを見事に表しているように思う。
「ヒマラヤが聳え、雨雪が降り、森林が茂る限り、我が国は安泰である」
裏を返せば、
「雨雪が降らず、森林が茂らない」場所では、ヒトは生きていけない。
それだけは、忘れないようにしたい。