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2013/01/30

2013年は早くも1か月が過ぎようとしています。
考えてみれば、私は今年まだコラムを1回しか書いておりませんでした。
前回(1月13日)以降、choreographyをまったく観賞していなかったもので・・・(苦笑)
ネタに困ったところで、苦し紛れに久々にこの連載を復活させるわけです(爆)。

 

お話は、確か結婚したことまででしたが、それは1995(平成7)年のことでした。
当時は仕事で心身ともに疲弊した状態でして、ストリップを見に行くことは当時に私にとっては、もっとも有効なストレス解消手段でもあったのです。
しかし問題は、それが結婚後も続いたことでした(原爆)。
本当にカミさんには悪いことをしたなあと反省しておりますが、自由にさせてくれたことには感謝しています。
あ、もちろん休みのときにはよく夫婦で一緒に、いろんなところに出かけましたよ(笑)。
ストリップ劇場にも、2回ほど連れて行きましたが(水爆)。

さて、当時はいわゆる「アイドルストリッパー」の全盛期で、テレビ番組でもよく取り上げられていましたし、雑誌のグラビアを飾ったりもしていたものです。
そして彼女たちのステージはまさに「choreography」としても、かなりいい線いっていたのではないかと思います。
しかしその一方で、「風俗」としてのストリップも1990年代にはまだ健在でした。
これまではっきりとは書きませんでしたが、すでに今世紀には「過去の遺物」と化したので、書いてしまいましょう。

 

私がストリップを見始めた1980年代半ばの頃、ほとんどのストリップ劇場のメインの演目は「本番生板ショー」というものでした。
これは要するに、ステージの上でダンサーと観客代表がある「行為」を行うというものでした(中性子爆)。
そして、その代表になる権利を得るための「ジャンケン合戦」の熱気と殺気は、それはすさまじいものでした(苦笑)。
ですから、形は「ショー」でも中身は正直見られたものではなかったものが、正直大多数でしたね。
少数ながら、踊りもきっちりこなすダンサーもいましたが・・・
そんな中で、黎明期のアイドルストリッパーやアクロバットを見せるダンサーは、「見せる」だけで観客を満足あるいは納得させなければならなかったわけですから、当然質の高い「choreography」を見せなければならなかったのです。
逆に1990年代後半、「風俗」としてのストリップの影が薄くなっていく一方で、「choreography」としてのストリップの質が落ちてきたと感じられるようになりました。
「昔はよかった」という言葉は古い人間が言う言葉なのでしょうが、ことストリップに関して言わせてもらうなら、まさにこの一言に尽きると思います。
まあ、私ももう古い人間の1人なんでしょうけどね(苦笑)。

 

と、今回は横道にそれてしまいましたが、ここらへんでなんか書いておかないと、次いつ書くかまたわからなくなっちゃいますからね(爆)。
こんな感じで、しばらくゆっくりさせていただこうと思っております。

2013/01/30 10:11 | yamane | No Comments