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タイトル、めちゃくちゃ立派なんですが、そう難しい話をするつもりはありません。
若い夫婦が子どもの難病と言う困難に直面したとき、
その困難を乗り越えるの必要なのは「母親の子どもへの愛情」だと私は考えています。
自身の付き添いの経験や、ハウスの運営を始めた7年前から現在に至る中で感じたことをお話できればと思います。
(注:京都サポートハウスの利用者さんのことだけを話題にしているのではありません)
お子さんが入院した場合、その付き添いには大抵お母さんが来られます。
お父さんは、お仕事の関係もあり週に1日か2日が精一杯のようです。
広島県知事が「育児休暇」の取得をすると言うニュースが話題になっていますが、
一般企業では、「育児休暇」の取得を含め、子どもが難病だからと言って何らかの支援が
受けられることは極めて稀です。闘病生活にはどうしてもたくさんのお金が必要です。
だから(母親の様に)看病はできないけど、お父さんが仕事をして経済面で家族を支えるのは
当然のことでしょうね。 父親と母親がその役割をきちんとこなせば、闘病生活にも張りが出てきます。
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ところで、父親と母親がきちんと役割をこなすって当たり前で、普通の事なんですが、実は簡単なことではありません。
患者さんが小学生以下となると、親は若く未熟な場合があります。
よって、その精神的な未熟さゆえに「子どもの病気」という現実に上手く対応できない夫婦も出てきます。
経済的な問題はある意味なんとでもなるんですが、精神的な未熟さは、急にどうこうなるものではありません。
私の経験から申し上げても、こういう状況には父親は弱いようです。
もちろん、子どもが病気(や障がい)を抱えていても、ど~~んと構えることができる立派な父親はいますが、
母親の最後の最後まで子どものことを思い、 必死になってくらいつくその執念は父親のそれよりはるかに強い。
たくさんの病気のご家族を見てきて感じるのは、母親がタフな家族は、
たとえ遠回りしていても幸せのゴールに到達する確率が高いように思います。
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母親の子どもへの愛情がどこから来ているのか、私が正確に語ることは無理ですが、
父親から見て感じるのは、「出産」をしているという事実です。
リスクを犯してでも、出産すると言う事実が、子どもへの愛情の支えになっているのは
間違いないと思います。ですから、もし、まったくリスクがなく、ましてや自分が産まなくてすむ時代が来た場合、
母親が普通に持っているはずの子どもへの愛情を確保することが困難な時代が来るのではないかと危惧しています。
子どもへの虐待がニュースに頻繁に取り上げられています。
3日1人は、子どもが親に殺されている現実があります。
虐待の原因は色々あるのですが、私は、我が子に強い愛情を感じない親が増えて来ている事が原因のひとつだと考えています。
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17年前、私の子どもが難病治療のため入院し、長期間付き添いをしていましたが、
その間の辛い経験は、後にも先にもありません。
たまたま、職場の経営者や同僚、組合の支援を受けられ看病に専念できましたが、
こんなことは極めて稀であります。お蔭様で父親としての最低限のことはできたと思っていますが、
もし、無援の職場だったなら、どうなっていた事でしょう。そして、妻が母親としての役割をきちんとこなせる人間でなかったとき、
私たち一家は、「家族」として存在することができたでしょうか。
子どもは不幸にして天国に召されましたが、夫婦が固い絆で結ばれ、幸せに暮らせていることを思えば、
無駄な経験ではなかったと思います。
でも、あの時は真っ暗闇を細い綱に寄り添いながら渡る様な毎日でした。
もし、どちらかが足を踏み外していたら、2人とも奈落の底に落ちていたことでしょう。
そう、たまたま上手く渡れただけなんです。
きっと、妻の子を思う強さが、弱い私の心を最後まで支えてくれたんだと思います。
夫婦には役割が色々とありますから、時に父親が母親の役割をせねばならないときもありますが、
子を思う母の強さだけは真似ができないですね。