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2013/01/07

 

地球の舳先から vol.261
岡山・山里 編 vol.4(最終回)

帰京の日。

ひとつの部屋に布団を敷いて雑魚寝なんて、多分修学旅行以来。
その前の晩は夜行列車にやや興奮気味だったので、
飛行機が羽田に着く頃には、少しの疲労と睡眠不足のなかに
でも、なにかほぐれたリラックス感があったように思う。

モノレールに乗り換えて東京湾横断を始めると、
広い窓から全面に、東京の光景がわたしを迎えていた。
高層ビルに、埋立地。曇り空に煙る、銀色の世界。
「おかしい」。心の引っかかりに気付いたのはそのときだった。
目の前の光景が、なにかひどく違和感のあるものに見えた。

そんな体験は初めてで、わたしは自分で自分に驚いた。
いや、自分の知らない自分を突然発見して、ぎょっとした、というほうが近い。
いつでも、どこに飛んでも、自分の暮らす東京に帰ってくるときには
煌めく東京の美しさに「帰って来たなあ」とほっと息をつき、
好きな仕事、大切な人、どこよりも快適な家―そんなものが全部あるトーキョー、
を再認識しては、足元をたしかめるのが常だった。

自分の身の丈に合った生活って、なんなんだろう。
少なくとも、こんな毎日ではない気がした。
「これでいいのか」というような、強い気持ちではない。
「こんな生活、いったいいつまで続けるつもりなんだろ…」
という、単純な、ある意味冷めた疑問として、思った。

自分の歩いてきた、いや、走ることがあたりまえだった時期が、
すこしだけターニングポイントを迎えているのかもしれない。
しかし、いちど歩みを止めたらもうその先に行けないような、
そんな根拠の無い強迫観念で、車輪を回していたりもするのだろう。

―それは、ひどく根本的な問題で、
たぶん、考えすぎない方がいいことのように思って
とりあえず、仕舞った。心の奥に。

あの短い旅から帰って2か月が経った今でも、
わたしの何かしらの違和感はまだ抜けていない。
おそらくこれがいわゆる「カルチャーショック」というやつなのだろう。
ガンジス川でも平壌でも、人生なんて変わらなかったのに。

すこしの敗北感を覚えながら、わたしはまた飛ぶ。
ここではないどこかへ。

おしまい。

2013/01/07 12:00 | yuu | No Comments