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2011/01/10

 「初舞台・初挫折」の続きです。

 大道芸の大会で痛い目にあった僕ですが、
懲りていないのか、それともなにくそと思ったのか、
ジャグリングの練習にはますます熱が入り、大学の授業はますます不真面目になりました。
(大学生諸君、くれぐれも真似するなよ!)

さて、大道芸のコンテストで交流もあった、
当時「京都大道芸倶楽部 Juggling Donuts」に所属されていた池田洋介さんより、
ある依頼を受けることになります。

それは、第二回Japan Juggling Festival(以下JJF)の実行委員に参加してほしいという依頼でした。
JJFは、1999年に始まったジャグリングの日本大会です。
第二回は、京都で開催されることになっていました。

ジャグリングフェスティバルというものについては次回にでも触れることにしますが、
とりあえず、この時の僕も「まあ、全国からジャグラーが集まってくるんだろうな。」というくらいにしか思っていませんでした。
(というか、そもそも『全国から』集まってくるのかどうかすら疑問だった。)

当時ぺーぺーの僕に割り当てられる仕事など、たいしたことはなく、せいぜい「チャンピオンシップ」と呼ばれる
「日本一のジャグラー決定戦」の運営をしたくらいで、あまり印象には残っていません。
(せいぜい、京都まで打ち合わせに行った帰り、終電を逃して、友人と乗ったタクシーがえらい金額になったことくらいでしょうか。これもまた「経験」ですよね。)

さて、京都市のとある体育館で開催されたそのJJFですが、
会場には約80人強の人数が集まったそうです。驚いたことに、関東方面からの参加者も結構いるではないですか。
前の年は、(又聞きの話なので正確ではないと思いますが)50人にも満たなかったらしいので、事前の広報活動は成功だったのでしょう。

ちなみに、当時の僕ができていたのはこんな感じです。
・5つのボールが少しだけ続く。(人前で見せられるぎりぎりのレベル。到底「安定」とは言えない。)
・3つのクラブ(棍棒・ボウリングのピンみたいな道具)の基本技のみできる。
・シガーボックスが人並みにできる。
・バウンスボール(床に跳ねさせるボール)の5つが続く。7つも少しだけできる。(※床に跳ねさせる方が簡単なのです。)

これでも当時の体育館の中にいたジャグラーの中では「上の下」くらいのレベルでした。
そもそも、5ボールを続けている人が体育館の中に僕を含めて数人しかいませんでしたから。

ただ、東京のサークル、「マラバリスタ」というところに所属している、Aさんというジャグラーが当時から7つのボールを練習していたのだけは強く覚えています。
この時、7つのボールを続いている・続いていないは別として、練習をしたいたのはおそらく会場にAさんを含めて3人いたかどうかというところだったと思います。
そして、このAさんとは、後日劇的な形で(?)再開することになりますが、それはとても未来の話。

事実上の日本一ジャグラー決定戦である「チャンピオンシップ」も、優れたアイディアのジャグリングではあったものの、技術的にはそこまで高いレベルではありませんでした。(とはいえ、勿論当時としては日本の最高峰だったわけですが。)

この前の年より始まったJJFでは、海外の有名なジャグラーをゲストとして呼ぶことを一つの目玉としています。
この時の僕は知らなかったのですが、この年のゲストは、ショーン・マッキニーという、
1999年のジャグリングの国際大会で準優勝をしたジャグラーでした。

このショーンというジャグラー、Tシャツにジーンズ、という、ステージに立つジャグラーとは思えないラフな格好。
しかし、5つのクラブ(ボウリングのピンみたいな道具)はおろか、トーチ(たいまつ)も5つ投げてしまう。
彼がピルエット(足を軸にした一回転)をするたびに、スプリンクラーのように飛び散る汗すらかっこよく見えてしまいます。
ボールは7つがひょいひょい続く。

でも、一番すごいのは3つのボール。
「数が多けりゃいいってもんじゃないよ?」とでも言いたげな、まったく見たことの無い技のオンパレード。

いや、これは「技」なのだろうか?

3つのボールの基本技は「カスケード」というのですが、いわば、それは「技」をせずに、「つないでいる」状態。
その「つなぎ」をほとんど使わず、技から技へ、常に流れていくようなジャグリング。

どこからどこまでが「技」と定義していいものなのかわかりませんでした。
いや、きっと、「技」という概念など無く、3つのボールを本当に「思うが侭」に投げているのだろうと。
それまでの僕は、ジャグリングというものは、涼しい顔をしながらやって、整然と(悪く言えば単調に)技を見せていくものだと思っていましたが、彼のジャグリングはそれとは正反対。
ものすごく野生的で、体をこれでもかというくらい動かし、まさに「エネルギッシュ」という言葉がぴったりのジャグリング。

それまで僕の見ていた世界の狭さに気がついたのはこの時でした。

多分、その場にいたジャグラーの誰もが思ったのではないでしょうか。
「これが世界か」と。

偶然にも、当時の映像が一部youtubeにアップされていますので転載いたします。
この動画ではショーンの魅力がわからないかもしれませんが……

ちなみに、若干記憶が薄れているので確実な話ではないですが、
ショーンが来日した時、ショーンの荷物が届かず、(いわゆる「ロストバッゲージ」ってやつです)
急きょ、日本のジャグリングショップにて道具を揃えたという経緯があった、と聞いています。
(裏方だったので、色々な道具を買いに使い走りされた記憶があります。)
つまり、この時ショーンが使っていた道具は、ふだん使い慣れている道具ではなく、新品の状態だったということです。
(経験を積んだから今だから言えるのですが、自分の道具はなんとなく手にフィットする感じがあり、とてもではないですが、新品の道具ではベストパフォーマンスはできません。)

普段は絶対に見ることのできない世界レベルのジャグリング。
日本にいては、滅多に見ることができないのですが、JJFに行けば必ず見ることができる。
特に決意などしたわけではないのですが、この後、
僕が毎年JJFに参加することになったのは自然な流れでしょう。
このショーン・マッキニーというジャグラーは、大変残念ながら、若くしてお亡くなりになってしまい、今となっては彼の勇姿を舞台の上で見ることはできなくなってしまっています。
しかし、彼独特のスタイル、
「3つのボールを中心とし、肉体的に負荷がかかるような技を多用する」スタイルのことを、
「ショーンスタイル」と呼び、今でも彼にインスパイアをされて、この「ショーンスタイル」のジャグリングをする人は多くいます。
(肉体的に負荷がかかる技=足の下や背中の後ろを通す、といった技です。)

ちなみに、僕は、この後しばらく、
舞台上にTシャツとジーンズで立つ、という痛いことをしていました(笑)
それはショーンだからかっこいいのであって僕がやってもだめだっちゅうねん。

2011/01/10 05:00 | ryuhan | No Comments