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こんばんは、酒井孝祥です。
人はなぜ、お芝居を観て心動かされるのでしょうか?
登場人物に感情移入して、その役の体験を自らの体験のように追体験するからでしょうか?
だとすれば、肩入れした役の心が大きく動けば、その分観ているお客の心も動きます。
そして、役の心が激しく揺れ動く場面の決定的なものとして、「忠臣蔵」の松の廊下、「仮名手本忠臣蔵」で言えば、三段目の喧嘩場が挙げられると思います。
江戸時代中期、赤穂藩主:浅野内匠頭が、江戸城殿中の松の廊下にて、高家旗本:吉良上野介を斬りつけ負傷させ、城内で刀を抜いた咎で浅野は切腹、吉良はお咎めなし、そして赤穂藩はお家取り潰しとなる。
後に、主君の無念を晴らそうと赤穂浪士47名が吉良邸に討ち入りし、ついに吉良を殺害したという、実際の事件をもとに、人物の実名を避けて時代背景も差し替えて作られた文楽・歌舞伎作品が「仮名手本忠臣蔵」です。
それから年月を経て、赤穂浪士の事件を題材に、実名そのままにつくられた一連のお芝居、映画、TVドラマなどは「忠臣蔵」とタイトル付けされます。
「仮名手本忠臣蔵」のことも「忠臣蔵」と呼びますが、ここでは、文楽・歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」ではない、後世に作られた作品を「忠臣蔵」とすることで話を進めます。
浅野が吉良を斬りつけたのは、浅野が吉良に賄賂を贈らなかったために、吉良から接待役の作法をきちんと教えてもらえず、散々に意地悪をされて、ついに刀を抜いてしまったというのが、「忠臣蔵」の定説のようになっていますが、実際には、どうして刀を抜いたのか、理由は分かっていないようです。
真相はともかくとして、浅野と吉良が松の廊下で出くわし、必死に怒りをおさえる浅野と、それを侮蔑する吉良…
怒りにまかせ、江戸城内で刀を抜いてしまったら、それだけで死罪になってしまいます。
その理性が、刀に手をかけることを踏み止まらせようとします。
しかし、目の前にいる吉良は、そんな浅野をさらに怒らせるような態度を取ります。
これまで受けてきた屈辱の思いも湧き上がってきて、刀に手をかけ、斬り殺してやりたい。
けれど、そんなことをしてしまったら、自分だけに留まらず、お家全てが滅亡してしまう。
二つの思いが激しく入れ替わりながら、ついには、怒りの感情が勝利してしまい、斬りつけてしまいます。
その瞬間に、これまで浅野が築き上げてきた地位、富、絆、何もかもが崩れ落ちてしまう。
なんとドラマチックなシーンでしょうか!
「忠臣蔵」では、その場面に行きつくまでに、散々に浅野が酷い目に会うシーンが描写され、作品によっては、浅野が精神的にまいっている様子が描写され、それらを経て、松の廊下で刃傷に及ぶわけですが、「仮名手本忠臣蔵」では、その背景が異なります。
「仮名手本忠臣蔵」では、浅野内匠頭は塩治判官、吉良上野介は高師直と名前が置き換えられていますが、三段目で二人が対面した時点では、師直は判官を苛めていたわけでもなく、判官も師直に恨みを抱いていることはなく、両者の関係はニュートラルな状態です。
ただし、その直前の場面で師直は非常に不機嫌な思いをしていたために、判官に八つ当たりをするような態度はあります。
ところが、師直は判官の妻:顔世御前に恋心を抱いているという設定があり、その場面で届いた顔世からの手紙によって、自分が完全にふられてしまったことを知ります。
その瞬間から師直は、腹いせに、顔世の夫である判官をこれでもかという程に侮辱します。
酒臭いだとか、妻と離れたくないから遅刻してきたのだろうなどと、ありもしないことを言い放ち、終いにはフナに例えて馬鹿にします。
この一場面のわずかな時間だけで、「忠臣蔵」においては長い日数をかけて蓄積されたのと同等の屈辱感を与えるわけですから、このシーンでの苛め方の痛烈さといったらありません。
そして、揺れ動く感情の中、衝動的に刀に手をかけてしまった判官に対し、「その手は何だ?」と迫り、どうだ斬ってみろと言わんばかりに…というか実際に口にしながら、判官の身体に自分の身体を押し付けてきます。
刀に手をかけてしまったことを必死に詫びる判官、それをなじる師直…
そして、ようやく師直から赦してもらったと一瞬喜ばされながら、その次の瞬間には叩き落され、ついに一線を越えてしまいます。
この一場面のほんの僅かな時間の中で、それまで特に恨みにも思っていなかった相手を、自分の理性の歯止めも利かずに斬りつけてしまうまでに感情が変化する「仮名手忠臣蔵」三段目喧嘩場。
役者として、このシーンを知らない人がいたら勿体無いですよ。
次回は、「突発的なアクシデントに…」(ブライダル)をテーマにしたコラムをお届けします。