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今年ももうあとわずかになりました。
本コラムももう5項目になりますね。
来年になれば僕自身ほぼ10年振りとなる個展に向けて
いよいよ準備も本格的に…という感じです。
さて、今回は「直視」ということについて
少し触れてみようかなと思います。
これは、作品になっていただいた被写体の方に
特によく言われることですが、
「カメラ目線って少ないのですね」
とご意見というか、ご感想をいただきます。
確かに、僕のブログなど観ていただければわかりますが
「カメラ目線」の作品は、なるほどすごく少ないです。
と言って特に作為があったり、そう意識しているわけではなく..
僕の作品撮りの場合も、僕の方から指示を出させてもらうことも
やっぱりすごく少ないです。
逆に言えばよほどのことが無い限り
「目線ください」ということもありません。
もっと言えば、2001年の個展
「自己嫌悪病棟 case1夜来るもの」では
カメラ目線の作品は一点もありません。
暗室で渾身の思いでプリントした
大全紙パネル30点で構成されたこの展示…
この辺りに僕のカメラ直視の作品が少ない訳がありそうです。。。
思えば「自己嫌悪病棟 case1/夜来るもの」は
僕の作品経歴の上でも特に
「抱えてはいるけれどできることなら触れられたくない」
そんな部分へと針を振り切った、
それまで僕が創り続けて来たものの極北と言える作品たちになっています。
人の想いの深いところ、痛み、切なさ、それぞれが抱える闇…
そういう場所で撮り、プリントし作品として構成していく。
その過程の中で向き合い続ける僕自身が「カメラ目線」であることに
耐えられなかった…或いはそれこそが理由かもしれません。
触れ得ざる場所へ眼差しを向けて、そこへと迫りながら
そこで反射され「直視」されることをどこか恐れている自分…
レンズの向こう側ではきっと「その領域」が現出していて
露わにさせているものがある..そしてそこまで踏み込むことで
現れるものがきっとある..
その一方で、「直視」されてしまえば自分と、作品と、
もしかしたらレンズの向こう側さえも壊してしまいそうな
そんな脆さと危うさ…ギリギリの線…
ある意味「自己嫌悪病棟 case1/夜来るもの」は
そこで自己防衛が働いてしまう僕自身の作家としての限界点
だったように思います。
それから10年を経た今でもやっぱり僕の作品には
「直視」した作品は少ないです。
けれどあの時点で自分が踏み込める限界を知れたこと
それは、かつては「踏み込んで行く」ような作品創りから
「想いに寄り添う」ように作品を創ることへ…
面と向かって切り結んで共倒れも覚悟…のようなカタチから
表される想いに逆らわずに応えようとするカタチへ
今来年の個展の作品の構成を考えながら
そんな自分の変化を感じるのもまた、「あの痛み」があったからこそ。
僕がそれを知るには10年の歳月が必要だったということでしょうか。。。
それでもやっぱり想いそのものへのアプローチは
いつだっておそるおそる…
危うくて脆い、胸が締め付けられるものではあるけれど。。。