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皆さん、おはようございます。
オペラには原語上演と日本語上演があります。
それぞれに特色があり、また、役割というものがあります。
そして、人には得手、不得手というものがあるわけです。
私は、モーツァルトオペラについて、
その1部分であれ日本語で歌うよう依頼されると、
すかさずこう申し上げることにしています。
「今、あなたが下さろうと考えているより1万円余分にギャラを下さい。」
作曲されたままの形を保とうと考えた場合、
また、作曲家と台本作家の意図を最重要視した場合、
あるいは、それに準じる何らかの意図を持っている場合、
そんな時には原語上演しか選択肢はありません。
少なくとも、作曲家自身が許した外国語までが許容範囲です。
例えば「ドン・カルロ」はフランス語かイタリア語までで、
日本語でやるのは、この上演意図に照らせば論外です。
日本語でやる意味は、
リアルに意味がわかる、というところにあります。
ただ、日本語は日々変遷していることを考慮すると、
あまりに古い時代からの訳詩上演も考え物ですし、
そもそも、歌手が日本語の歌唱は得意でないことも多く、
聞き取れない、というデメリット、リスクもあります。
私個人の考えでは、日本語上演もある程度推奨できるのは、
オペレッタ、という部門に限ります。
それでも、原語上演への誘惑も残ることを考慮しつつ、です。
それ以外は原語上演に限ると考えます。
もちろん、オペレッタの日本語上演で得られる効果を
他のオペラでも、と考えて日本語上演する人もいるでしょう。
しかし、私はそれは、それがやりたい人に任せておきたいと思います。
少なくとも私はそれに、基本的には関わらないし、
関わったとしても、指揮者や演出家としては関わりません。
その最たるものがモーツァルトで、
これは私の専門範囲ですから、尚更スタンスは死守します。
もちろん、要求には出来るだけこたえたいと思いますが、
相手に「あなたはイレギュラーな要求をしているのですよ」
という釘は刺しておきたいところです。
それが「1万円余分にギャラを下さい」なわけです。
この時、私はまだギャラを知らないはずです。
ですから、その人は「私に渡そうと考えていたギャラ」というのを、
こっそり1万円下げればよいのです。
初め、3万円くれようと思っていたのであれば、
「実は2万のつもりなんだけど」と言えばよろしい。
私が要求しているのはギャラの増額ではなく、
私にしたくないことをさせている、という自覚を持つことなのです。