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Prologue
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「所属の会社はどこでも、自分のやるべきことは変わらないから。
どこの会社にいても、社外の人たちと一緒に仕事をしてきたからね。」
現在、ネオ・アット・オグルヴィ社へ常駐という形で勤務する山崎浩人さんは、そう語る。
その経歴は、非常に目まぐるしい。
マスメディアを中心とする広告会社から、事業会社へ。
事業会社でのCRM関連の経験を生かす形で、携帯電話のキャリア会社へ。
その会社から広告事業を切り出す形で別会社化した組織のCEOを務め、
“結果的には”、広告会社へ帰ってきた。
2011年、「若者のクルマ離れ」をテーマに自動車メーカー8社が共同で行ったプロジェクト「Drive Japan」において、山崎さんは17社以上に及ぶチームのプロデューサーとして立ち回った。
これがきっかけで、「Webクリエーション・アウォード」では「Web人 of the year」を受賞。ノミネートは個人としてであったが、「あくまで、17社40名以上のこのプロジェクトの代表としての受賞と認識している」とコメントしている。
自身は、「マネジメントよりも自分が動くほうが好き」というが、
山崎さんからは、広告人にままある、一匹狼気質というかある種の“孤高感”がない。
このフラットさは何なのだろう、と、某所で最初に山崎さんにお会いしたときに
わたしが感じた好奇心は、そのコメントがよく説明しているだろう。
世の中があり、自分があり、その中間に、仕事人としての自身が居る。
冷静に、自分を眺め、あるべき立ち位置に移動してきたその仕事人生は
一見とても能動的なようでいて、世の中の流れに突き動かされてきた結果なのかもしれない。
「一歩先」を見つめるのは、そう難しいことではない。
誰もが自分の専門領域に対しては「かくあるべし」「きっとこうなる」というものを持っている。
しかしそれを、「今ここにある仕事」に変換する作業というのは、言うならば“とてもシンドイ”。
それでも誰かが一歩を踏み出さなければ、道はできない。
道を作るべく、まさに「立ち回って」きたのが、これまでの、そして今の山崎さんだ。
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次回予告/Scene2;
広告人・山崎浩人氏の場合
テレビ全盛期に、“広告”の立ち位置を考える。(12月12日公開)