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ご無沙汰しております。
随分とコラムを放置してしまい、編集部からもお叱りを受け、
さあ、そろそろ、と思い立ったはいいものの、
さて、大学院生というものは、なんとネタが少ないことか。
という言い訳はさておき、今週から何度かに分けて、
大学院生活「セブ島留学編」をお届けしたいと思う。
まず初回は、留学決定〜出国〜留学生活スタートまでを描いていこう。
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思い返せば、セブ島が格安英語留学のメッカになりつつある、
という情報を得たのは、今年2月頃のこと。
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=363
博士課程入試で、嫌という程、自分の英語力の無さを痛感したため、
さすがにこれはテコ入れをせねば、という意識はあったものの、
さて、御歳三十にもなって、欧米へ語学留学、というのは、
なかなかどうしてハードルが高い。
大学で交換留学の制度でも利用できれば良いのだが、
博士課程ともなってしまうと、単純に語学力向上を目的にした留学、
というコースは皆無で、「流体力学についてバリバリ英語で講義するよ!」
みたいな、激しく専門性が要求される形式しか有り得ない。
もちろん、前提条件として、TOEICだかTOEFLだかの点数も、
激しく高い点数が要求される。
や、そもそもその点が取れねえから留学すんだよ…と言いたいところだが、
そういうことは学部時代に済ませておくべきもの、らしい。
げに日本社会は道を外した者に優しくない。
閑話休題、そんな自分にとって、セブ島留学は、まさに渡りに船。
自分の懐をさほど痛めず格安で留学ができ、
社会人も多いということで、三十路でも浮かずに済み、
そして、何より、1対1授業なので、ちゃんと英語力が身に付く!
(意外と三番目が重要だ。英語が身に付かない留学も五万とある)
善は急げと、セブ島の語学学校の調査をはじめ、
いくつかの留学エージェントからの情報を元に検討を重ね、
ついに、留学を決めたのが、今年の5月のこと。
留学期間は、もろもろ勘案して、8月いっぱいの4週間となった。
—–
出国は、7月29日(日)。
前日の酒も抜け切らぬ中、早朝5時起きで成田へ向かう。
成田からフィリピンの首都マニラを経由して、一路セブへ。
フィリピンは雨期ということもあり、マニラはあいにくの雨。
というか、スコール。完全に豪雨。
仕方なく雨に濡れながら国内線ターミナルに移動し、乗り継ぎ便を待つ。
すると、何故か、搭乗口前で自分の名前がコールされる。
「なんかやらかしたかなあ」と怯えながらカウンターへ行くと、
なにやら、「オーバーブッキングしてしまったので、お前の席を
アップグレードしてやるぜこんちくしょう」と言っている。
かくして、マニラ→セブ間が、ビジネスクラスになり、
超絶快適な1時間半を過ごすことができた。
幸先が良すぎる。
セブに着くと、語学学校の迎えのスタッフと合流。
車に乗ること約10分で、学校に到着した。
その間、目にしたのは、実にアジアらしい、喧噪とそして小汚さ。
「セブをリゾートだと思って行くと酷い目に遭う」
と聞いてはいたが、なるほど、これはハネムーンで来たカップルには、
大層堪える光景だろう、などと旅慣れた余裕を吹いてみる。
さて、語学学校のフロントで早速チェックインをしたわけだが、
ここでもまた、アジアらしい洗礼を受けることになる。
そう、フィリピン人もご多分に漏れず、「適当」なのだ。
フロントでは、どう考えても使い回しの用紙に必要事項を書かされ、
「明日8時にこのへんに来てね」とだけ言われて放置される。
飯食う場所くらい教えてくれよ、と思いつつも、
いよいよ、アジアに来た実感が涌いてくる不思議。
自分の足でぶらついて、何となく、どこに何があるかを把握する。
ひとまず、食堂の場所だけわかっておけば、飢えることはなさそうだ。
翌朝。
オリエンテーション。
比較的日本人の少ない学校を選んだ…はずだったのだが、
オリエンに出席してるのは、どう見ても全員日本人だ。
しかも、親子連れや学生らしき子などなど、全て…女性。
これは予期していなかった展開。
そんな動揺を尻目に、スタッフがユルい流れでオリエンを進めていく。
レベルチェックテスト、健康診断、写真撮影を終えて校内ツアーへ。
この学校、寮と教室が一体化した建物で、授業中であっても、
その時間帯に授業が無い学生があちこちうろうろしている。
うろうろしているだけではなく、お子様達が元気に駆け回ったりもしている。
いろいろ予想外ではあったが、これはこれで楽しむほかない。
午後、オリエンを受けたメンバーで買い物へ。
とはいえ、食事は三食付いているし、
洗面用具は、以前ホテルから調達したアメニティを持参したし、
さほど喫緊で必要なものもない。
が、女性陣はそうでもないらしく、
我先にとショッピングセンターの中へ消えて行った。
寮へ戻ってきて、夕食を摂る。
和歌山から来たという母娘と同席することに。
小学校6年生で夏休みを利用して連れてきてるのだという。
いやはや、小学生でセブ島に留学するとは、凄い時代になったもんだ。
そんなこんなで、留学生活は騒がしくスタートした。
(続く)