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コバヤシさんというひとがいた。
僕が地元の小さな予備校で浪人していた頃、それは、今でこそやや緩やかになった医学部受験が、今よりもずっとシビアだった時代のはなしだ。
コバヤシさんはおじさんだった。具体的な年齢は知らない。たぶん30を超えたくらいだったと思う。少なくとも僕たちより老けていた。
コバヤシさんは、医学部を目指して浪人を繰り返している再受験生だった。
僕の予備校は、小さいけれど、僕の卒業した片田舎の進学校から毎年一定数が入学し、聞こえのいい大学にそれなりの人数が合格することで、なんとか廃校をまぬがれているようなところだった。
一期約100人のうち、僕の高校の同級生が40人くらい。僕らにとっては高校の延長のような気分で、ほどほどに努力してそれなりに成績は上がっていた。
そして、コバヤシさんは僕の出身校の卒業生だった。
決してイケメンともスマートとも言えない見た目で、静かな自習室でペンを叩きつけるように勉強したり、いつもひどく汗臭いタオルを首に巻いていたから、コバヤシさんは嫌われていた、と思う。
毎年東大医学部しか受験しない、という噂だった。医学部コースの中でも成績は良かったけれど、理科Ⅲ類に受かるほどではなかった。
地方都市のご近所づきあいの中でちやほやされ、将来を嘱望されていると思い込んだ、公立トップ進学校の卒業生であったところの僕たちは、コバヤシさんを内心で馬鹿にしていた。
僕たちにとって、コバヤシさんは“失敗”の象徴だった。
ある日、突然、コバヤシさんは予備校に姿を見せなくなった。
コバヤシさんが駅のなかを女性とふたりで歩いているところを、わざわざそれとわかるようにケータイのカメラで盗撮した馬鹿がいたという話はあとから聞いた。
うしろめたい気持ちにはなったけれど、受験のことですぐに忘れた。
その年も、コバヤシさんは受験に失敗したらしい。予備校も辞めてしまった。
翌春、およそ40人いた同級生のうち、僕だけが進学に失敗した。
いわゆる二浪だ。どうしても医学部を諦めきれなかった。
そして、例年どおり、40人の後輩たちがその予備校に入学し、出身高校そのままの雰囲気でグループを構成する。そこから外れてはじめて、それが気味の悪いシステムであることに気がついた。
そんな閉鎖的な空気のなかで、僕は新しい“失敗”の象徴になる。
話し相手もできないまま、狂ったように勉強した。
コバヤシさんのように。
医学部に合格しても、医師になる喜びはなかった。ただ、僕は終われたのだと思っただけだ。
あの頃、どうしても抜けだしたかったところから、ようやく抜けだしたはずなのに、医学部に入った僕はすぐにやる気をなくした。
手を差しのべてくれた大切な人たちのおかげで、いまは少しだけ真面目に生きている。
医師になるための勉強をしていると、ふと、あの頃のことを思いだすことがある。
コバヤシさんはいま、どこでなにをしているんだろう。
コバヤシさんは、医者になれたのだろうか。