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2012/09/23

卵巣がんは、婦人科系の癌のなかで予後不良の疾患として知られている。世界的な統計を見ても、進行例の5年生存率は30%を下回る。国立がん研究センターの調査結果によれば、日本でも年間およその5000人の女性が卵巣がんで死亡する。決して、他人事ではない。
それでもこれはただの数字だ。30%にも、5000人にも、ほんとうはひとつひとつに顔がある。ひとつの顔にはひとつの人生がある。
知らなければよかったと思うほど、それは重い。

髪を撫でていたのだ。旦那さんの手が、優しく。
手術室の前で。

婦人科にそう興味がある訳ではなかった。医学生も高学年になると、あちこちの病院に見学を兼ねた実習に行く。
とある病院の実習で婦人科に回ったのは、人数調整があったからだ。そこは産科が有名な病院で、僕もやはりお産を見学したかった。
産婦人科とひとくちに言っても、産科と婦人科とでは業務が大きく異なる。婦人科は外科系で、主に腫瘍を扱う。
僕が担当になったのは、卵巣がんの患者さんだった。まだ若いご夫婦の奥さんで、いつも旦那さんが付き添っていた。

ご挨拶をして、診察をさせていただいた。とても素敵なご夫婦だった。何も知らなければ、幸せを絵に描いたようだと思ったことだろう。ご夫婦は何年も不妊治療を続けていた。
卵巣がんの手術では、卵巣と一緒に子宮を摘出することがあり、この場合はそれにあたった。だから、もう、子どもは産めない。
それでも、命には替えられないからと、ふたりで幾度となく話し合ってだした結論だったようだ。

手術は翌日。旦那さんと一緒に、僕も手術室まで付き添った。ご家族はここまでですと告げられたドアの前で、旦那さんはただ優しく、奥さんの髪を撫でた。奥さんは目を閉じていた。
窓の外は穏やかに晴れていたし、その風景は嫌になるくらいの日常で、世界はその誰にも無関心だったと思う。それがとても悔しい。

手術ではとりきれないところまで、がんは浸潤していた。
化学療法がどんなにうまくいっても、残された時間がそう長くないほどに。

神様がいるのかどうかは知らない。
agnosticismもatheismも関係ない。
もしも神様がいるのなら、どうして、よりによって、このひとなのかを聞いてみたいと思った。
これまでずっと赤ちゃんに恵まれず、それでも支えあって生きていくつもりだったふたりのうち、ひとりだけを連れていく必要がどこにあるのだろう。
生きるためにずっとたいせつにしてきたものを諦めたのに、もうあまり生きられないとはどういうことなのですか、と。

手術のお手伝いをしていたとき、溢れた血で手袋が真っ赤に染まった。
ぜんぜん温かくなくて、むしろ冷たくて、思わず自分の手をみつめたとき、奥さんの髪をゆっくり撫でていた旦那さんの手のことを思った。
いのちにふれたのだ。これまで誰のことも大事にできなかった僕の手も。

術後の病状説明に立ちあって、最後に深くお辞儀をした。他にできることが何もなかったから。
顔は上げられなかった。だから僕は、旦那さんの顔をみていない。

その日の夜、実習生全員がお産に呼ばれた。僕は行きたくなかった。
行きたくなかったはずなのに、分娩室で立ち会ったふたごの赤ちゃんはとても可愛かった。
だから、ますますわからなくなった。
ひとは死んでしまうし、生まれてしまうのだ。
だれにも選べない。わかっている。わかっているのだけれど。

あのね、神様。もしもあなたがそこにおわしますなら。
生まれてくるだけではいけませんか。
それで地球がぎゅうぎゅうになって、つまらないエゴで人類が滅亡してしまったとしても、それでも構わないと思えるくらい、僕はあのいのちを救いたかったのです。

産婦人科は不思議な診療科だ。生まれて、死ぬ。
いのちはただの数字ではなく、その重みで心が軋んだことを、これからも忘れずにいたいと思う。

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※個人情報への配慮について
このコラムは基本的にノンフィクションです。でも、特定の患者さんを話題にするものではありません。
場所も、時間も、患者さんの病名も、病歴も、すべて僕が経験したことを、
ゆるやかに織り交ぜ、一部に変更を加えています。ご了承ください。

2012/09/23 06:00 | kuchiki | No Comments