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2012/08/27
ポルト・アレグレ 第1回日本祭り 12/08/22 サンパウロ新聞WEB版より
地元日系団体が協力団結 「日本移民の日」も制定へ
約5000人の日系人が住むリオ・グランデ・ド・スル(南大河)州で18、19日の両日、同地で初めてとなる「日本祭り」がポルト・アレグレ市内の州警察学校敷地内で行われ、州内外から日本文化に興味を持つ約1万3000人(地元警察発表)が集った。同祭は同地の日系組織であるポルト・アレグレ文化協会(ACJ、菅野和久会長)と南日伯援護協会(森口幸雄会長)が共催したもので、同援協の「第53回家族慰安敬老会および演芸会」も併せて行われた。会場では折り紙や生け花、茶道、各種武道、書道などの日本文化が紹介されたほか、パラナ州ポンタ・グロッサから招かれた太鼓グループ「風林火山」が勇壮な演奏を行った。加えて、県連(園田昭憲会長)が国内交流基金によって招へいした聖州サント・アンドレー市の具志堅洋子琉舞研究所メンバー7人が琉球舞踊「四つ竹」を南大河州で初披露し、観客からの万雷の拍手を浴びていた。(植木修平記者)
聖州やパラナ州などと比較すると南伯の日系コロニアは小さい。しかし、南大河州議会は2011年8月に戦後日本移民55周年を記念し、初めてリオ・グランデ港に降り立った日本移民23人のうち州内に住む9人に対し、その功労を認めメダルを贈呈している。南伯の日系社会が大きな節目を迎えたことはポルト・アレグレ市でも認知され、現在、公式に「日本移民の日(8月20日)」が制定されつつあり、まもなく市議会本会議で議決される予定だ。
18日午前に行われた開会式には、在ポルト・アレグレ出張駐在官事務所の後藤猛領事、文協の菅野会長、援協の森口会長、白井安弘南伯日本商工会議所会頭、ポルト・アレグレ市のジョゼ・フォルトナ市長などが出席。日伯両国国歌斉唱後にあいさつに立ったフォルトナ市長は「日本移民の日を承認できる日が来ることをうれしく思う」と話した。
また、今回の日本祭りは州警から管野会長に対し、州警学校の敷地を開催地として無料貸与するとの申し出が11年3月にあったことがきっかけとなっている。
同祭はブラジル側の厚意によって支えられ、南伯の日系社会として初めての「日本祭り」が開催されたが、開催期間中は約30度の暖かな気温に恵まれたことや、現地の情報紙やテレビ報道などによって紹介されたことで多くの来客があった。
コスプレ姿で日本祭りを訪れた伯人男性は「テレビでは見たことはあるけれど、茶道を初めて見た。所作に対するこだわりを感じた」と興奮していた。
また、「四つ竹」を踊った具志堅洋子さんは「サンパウロでは琉球舞踊はいつでも見れるが、こちらの人たちは真剣なまなざしで私たちを見ていた。こちらもしっかりやらなければという気にさせられた」と気持ちを引き締めていた。
聖州やパラナ州などと比較すると南伯の日系コロニアは小さい。しかし、南大河州議会は2011年8月に戦後日本移民55周年を記念し、初めてリオ・グランデ港に降り立った日本移民23人のうち州内に住む9人に対し、その功労を認めメダルを贈呈している。南伯の日系社会が大きな節目を迎えたことはポルト・アレグレ市でも認知され、現在、公式に「日本移民の日(8月20日)」が制定されつつあり、まもなく市議会本会議で議決される予定だ。
18日午前に行われた開会式には、在ポルト・アレグレ出張駐在官事務所の後藤猛領事、文協の菅野会長、援協の森口会長、白井安弘南伯日本商工会議所会頭、ポルト・アレグレ市のジョゼ・フォルトナ市長などが出席。日伯両国国歌斉唱後にあいさつに立ったフォルトナ市長は「日本移民の日を承認できる日が来ることをうれしく思う」と話した。
また、今回の日本祭りは州警から管野会長に対し、州警学校の敷地を開催地として無料貸与するとの申し出が11年3月にあったことがきっかけとなっている。
同祭はブラジル側の厚意によって支えられ、南伯の日系社会として初めての「日本祭り」が開催されたが、開催期間中は約30度の暖かな気温に恵まれたことや、現地の情報紙やテレビ報道などによって紹介されたことで多くの来客があった。
コスプレ姿で日本祭りを訪れた伯人男性は「テレビでは見たことはあるけれど、茶道を初めて見た。所作に対するこだわりを感じた」と興奮していた。
また、「四つ竹」を踊った具志堅洋子さんは「サンパウロでは琉球舞踊はいつでも見れるが、こちらの人たちは真剣なまなざしで私たちを見ていた。こちらもしっかりやらなければという気にさせられた」と気持ちを引き締めていた。
今回、琉球舞踊を招へいした県連の園田会長は「国内交流基金を使い、サンパウロから地方へ日本の本物の文化を伝えることができた。次回は(パラー州)ベレンに連れて行ければ」と意気込んだ。
同祭にはペロッタス、イボチ、カシアス、サンタ・マリアなど周辺の移住地からも集客があったことに加え、関係者らは「日本祭りをみんなで成功させたことで、長年ポルト・アレグレの日系団体が抱えていたわだかまりが解決された」と喜んだ。
約20万人を呼びこむサンパウロの日本祭りと比べるとささやかだが、ポルト・アレグレ婦人会(和田恵子会長)など女性陣が中心となって会場設営がなされ、手作りの飾りで彩られた会場は来場者の笑顔で満たされた。
同祭関係者らは「日本移民の日が制定されるとなると、日本祭りは毎年行われることになるかも」と表情を引き締め、同地日系社会に新たな絆が生まれていた。
2012年8月22日付
同祭にはペロッタス、イボチ、カシアス、サンタ・マリアなど周辺の移住地からも集客があったことに加え、関係者らは「日本祭りをみんなで成功させたことで、長年ポルト・アレグレの日系団体が抱えていたわだかまりが解決された」と喜んだ。
約20万人を呼びこむサンパウロの日本祭りと比べるとささやかだが、ポルト・アレグレ婦人会(和田恵子会長)など女性陣が中心となって会場設営がなされ、手作りの飾りで彩られた会場は来場者の笑顔で満たされた。
同祭関係者らは「日本移民の日が制定されるとなると、日本祭りは毎年行われることになるかも」と表情を引き締め、同地日系社会に新たな絆が生まれていた。
2012年8月22日付
2012/08/27 04:42 | wada | No Comments