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2012/07/30

皆さん、おはようございます。
我が国の国土の大半は、住めない土地、
あるいは住むのに苦労する土地で出来ています。
国を縦に山脈が走り、人はその麓にある、
決して広くない平地に住んでいるわけです。

1億数千万の人々がそこには住んでいるわけですが、
自然な状態であればおよそ考えられないような状況が
そこには展開されています。

まずは、1億数千万の人がそこにいる、ということからして
実におかしな状況です。
その中の大部分が、初老以降の人たち、
まあ、ここではぶっちゃけ「老人」ということにしておきましょう。
皆さんの家庭の内外にも、きっと80歳以上の人がいるでしょう。
核家族が当然の現代、家の中とは限定しませんが、
80歳に達せずに死んでしまった祖父母というのも、
近年では案外珍しいかもしれません。

現在90歳だ、100歳だ、と言ってる人たちが、
もし300年前に生きていたとしたら、
果たしてその年齢まで生きていられたでしょうか?
中には本当に元気で、という人もいないことはないでしょうが、
大半は、きっと生きていられなかった人でしょう。
つまり、死ぬきっかけになるような病気をしたことがあるはずです。
ひょっとしたらそれは風邪かもしれない。
だから死ぬきっかけになったとは思えないかもしれないけれど、
そう思えるのは現代だからかもしれません。
その風邪が300年前だったら、別の病気を招いたかもしれないのです。

これは科学の進歩、医学の進歩のおかげですが、
果たして喜んでばかりいられるかどうか・・・。
自然に生きていればとっくの昔に死んでいる人まで命が延長され、
逆にそんなことが出来る人類の進歩が、
次世代の人間の誕生を減らしている、という側面もあるでしょう。
俗にいう少子化というやつです。

しかし、果たして本当にそれが少子化なんでしょうか?
現在たくさん存在する、3,40年後には老人になる人の人口に比べ、
次世代が少ない、というだけの話ではないでしょうか?
その数十年後に老人になる人たち、のことですけども、
数百年前であれば、老人になりきるまでに死んでしまう、
ということもあったはずなのに、
この医学の進歩のおかげで無事、生き永らえさせられてしまう、
という点も考えなければなりません。

この不自然な状態の解消を目的とする、
一時的な不利益を被る世代、
つまり、皺寄せはどうやら私たちの世代にくるんじゃないでしょうかね。

もう一つおかしなことを・・・。
今日、私はバイクで人を撥ねかけました。
四ツ橋筋の左側車線を北行していると、
車道を走っていた自転車がふらついて、
いきなり右に寄ったのです。
時刻は8時半ごろ。
歩道に人はほとんどおらず、
自転車で走っても問題なさそうな状態でした。

確かに、自転車は車道へ、という方向の今日現在です。
法律は確かにそうなっている。
しかしです、状況によりけり、ということもあるはず。
たいして車の走らない道ならばともかく、
四ツ橋筋には車がビュンビュン走って行きます。
一方、歩道は上記のように人気が少ない。
しかも、自転車の運転がフラフラ。

そもそもの現状を考えてほしいのですが、
日本の道は、概して狭いです。
人間が主に行動するスペースは少ないです。
その癖、人間の数は多く、車の数も大変多い。
しかるに、決まり、規則、法規というものは、
その現状には即しているとは言い難いものがあります。
道路交通法は、その法律が出来た時の道路状況がベースになって、
つまり、人口、車の数が当時のものであることが前提でしょう。

だいたい日本ほど物事の決まらない国はなく、
何か問題を感じて法改正するにしても、
その手続きで数年かかり、
出来た時にはもう状況が変わっている、という国です。
後手後手になる国なのです。

自転車の車道走行に関して言わせてもらと、
日本の車道は、車の数に対して狭すぎます。
その車道に自転車まで放り出したらどうなるか。
今以上の渋滞を生むだけです。
それを是正出来るとしたら、車の所持を規制するしかありません。
しかし、今更そんなこともできないでしょう。
いったいどこに落としどころのある国なのでしょうね。

2012/07/30 01:22 | bonchi | No Comments