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2012/07/08

 

曲独楽 kyoku-goma 三増巳也 うちこ 町並み保存地区 えひめ

職人さんとのお付き合いは結構長くなりました…

戦後日本のデパートで職人の実演販売を定着させた方は 誰あろう 江戸曲独楽の作者 広井政昭さんであるけども

 

なにしろ 最近は ごく当たり前になってしまって

テレビショッピングの会社が テレビの番組スポンサーになったりすると

もはや 日常に「物」が 食い込んでいて

日本は

外国に出るとよくわかる

飽和

買ってほしい

これが 一日の電波の大半を占めているみたいで

それだけで 私には重たい

 

ずっと昔

私が曲独楽を 紋也師に稽古をつけていただいていた時代

今 思い出してみると

いろいろな気配の変化を感じるのです

師匠のお宅がある地域は

飯田橋と神楽坂の中ほどです

 高い丘陵のような地形の上部に

東京大空襲で焼けてしまった建物が大半ですが

ほんの一角

木造町家がポツリと残っていたり

 

新宿区の中でも

緑を愛する大きな邸宅があるせいでしょうか

落ち着く町でした

 

稽古に通う 地下鉄のばっちい神楽坂駅を出て歩く道から

カラカラの新潮社本社ビルあたりを

いかに急いで通り過ぎるかで

身の入り方そのものも違ってきましたし

 

歩く道が逆に 今のように きれいに整備された駅から出て

おしゃれなカフェや

アンティーク店を横に見ながら歩く

 

そういう

必ず誰かの手が入った場所を望む道のりであったならきっと

 

曲独楽の職人さんの

製作の

現場の事を考える機会は もっと遅くなって

後輩の曲独楽の材料調達も

間に合わなかったかもしれない

 

絶対

師匠のおっしゃるとおりに

芸以外の余計なことはしない

そういう

古典の芸を一直線に

させていただいてたでしょう

 

でも 表通りを1本入った路地には

「利休」映画の勅使河原監督のお宅

裏千家の事務所

たまに 散歩中の古今亭志ん朝師や富士真奈美さんにも

お会いするような地域で 普段は静かな雰囲気

この物静かな上品さは

前へ押し出すような今どきのやり方とは

随分違っていた記憶があります

でも 私だけなのかもしれません

 

私にとって 特別な場所がもうひとつあったからです

ちょっと歩くと

三島由紀夫さんが自決した

自衛隊 市ヶ谷駐屯地に出るのです

ここは ほとんど 閉鎖状態でした

(でも近代能楽集 卒塔婆小町と綾の鼓のファンの私は毎回のように 見に来ました)

ここからの眺めは

市ヶ谷駅を 外堀をはさんで向かい合い

殺伐として

何ともいえない風景です

 

 よく紋也師は この外堀にある 釣堀に来ていました

目の前に市ヶ谷駅があります

釣りが大好きだった師匠の 憩いの場所でした

 
紋也師が大きな病気 を克服して芸に復帰してすぐ
私は入門を許して頂きましたから
本当に 喜んでくださいました
 
当時 曲独楽を製作する方は 広井先生と お弟子さんのI先生くらいでしたので
その曲独楽の貴重な事たるや 今や想像が付きにくい程です
 
博多の曲独楽の方は ご自分で製作されて芸に臨まれますが
 
江戸の曲独楽師は 戦後自分で作る人といえば
 
やなぎ女楽師くらいではなかったでしょうか
 
女楽師は ご自分の曲独楽を工夫して 釘打ちしたり 楽しそうに使われていましたが
 
私が後見で舞台に立つ頃には I先生に曲独楽作りを依頼されるようになり
 
私と同じく I先生の曲独楽を 使う事になったのでした
 
よくI先生と一緒に出来たばかりの曲独楽を持って
 
浅草演芸ホールの楽屋に訪ねて行きました
 
そういうとき決まって女楽師が連れて行ってくれるのが
 
すぐ近くの蕎麦屋さんで
 
そこの看板娘が ものすごく美人で びっくりしましたが
 
女楽師はじめ芸人が多く通う理由が判明致しました
 
面白いものですが
 
紋也師も美人を発見するのが名人でしたので
 
曲独楽師というのは 目がいいもんだなと 感心しました
 
 
曲独楽師の 付き合い方というのも 実は そんなに「異流派だから」とか
 
肩肘張った様子は無く
 
 
私が 曲独楽で当時 寄席に空がなかったので
 
所属協会を 太神楽曲芸協会の やなぎ女楽会長にお願いしたい旨を
 
紋也師に聞いた時は
 
「僕が挨拶に行ってやるよ」
 
という感じで
 
東京の寄席の曲独楽師が
 
女楽師 小志ん師 とし松師 紋也師と
 
その太神楽曲芸協会の理事会に一同に集まったという
 
私にとって夢のような風景でした
 
 
ですから 特に 博多の曲独楽の方とも
 
友好的なお付き合いな訳で
 
今でもそれは 続いております
 
 
もし
 
曲独楽の 広範囲な調べものなど 発生した際には
 
その頃からの 芸つながりを活かして
 
私も あちこちの曲独楽の方と より強い友好関係を結びたいと考えています
 
何しろ
 
各派ケンカに似た険悪な雰囲気を持ってしまったら
 
曲独楽製作の先生に 大変な心配、ご不快、負担をかけてしまうので
 
ずっと この良好な関係は 続けて行きたいと バックアップを普段から重ねております
 
曲独楽の情報公開というか
 
芸をする側の考え方や
 
曲独楽を製作する先生方の苦労を代弁する場所
 
歴史の検証を通じて 文化的に どのような役割があるのか
 
真剣にとらえて置こうと
 
なんか やたら固いですが
 
そういう考えでもって 曲独楽製作の先生を 盛り立ててもいかなくちゃいけないと
 
…お役目が果たせれば良いのですが…(^w^;)思っているのです
 
2012/07/08 03:56 | miya | No Comments