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職人さんとのお付き合いは結構長くなりました…
戦後日本のデパートで職人の実演販売を定着させた方は 誰あろう 江戸曲独楽の作者 広井政昭さんであるけども
なにしろ 最近は ごく当たり前になってしまって
テレビショッピングの会社が テレビの番組スポンサーになったりすると
もはや 日常に「物」が 食い込んでいて
日本は
外国に出るとよくわかる
飽和
買ってほしい
これが 一日の電波の大半を占めているみたいで
それだけで 私には重たい
ずっと昔
私が曲独楽を 紋也師に稽古をつけていただいていた時代
今 思い出してみると
いろいろな気配の変化を感じるのです
師匠のお宅がある地域は
飯田橋と神楽坂の中ほどです
高い丘陵のような地形の上部に
東京大空襲で焼けてしまった建物が大半ですが
ほんの一角
木造町家がポツリと残っていたり
新宿区の中でも
緑を愛する大きな邸宅があるせいでしょうか
落ち着く町でした
稽古に通う 地下鉄のばっちい神楽坂駅を出て歩く道から
カラカラの新潮社本社ビルあたりを
いかに急いで通り過ぎるかで
身の入り方そのものも違ってきましたし
歩く道が逆に 今のように きれいに整備された駅から出て
おしゃれなカフェや
アンティーク店を横に見ながら歩く
そういう
必ず誰かの手が入った場所を望む道のりであったならきっと
曲独楽の職人さんの
製作の
現場の事を考える機会は もっと遅くなって
後輩の曲独楽の材料調達も
間に合わなかったかもしれない
絶対
師匠のおっしゃるとおりに
芸以外の余計なことはしない
そういう
古典の芸を一直線に
させていただいてたでしょう
でも 表通りを1本入った路地には
「利休」映画の勅使河原監督のお宅
裏千家の事務所
たまに 散歩中の古今亭志ん朝師や富士真奈美さんにも
お会いするような地域で 普段は静かな雰囲気
この物静かな上品さは
前へ押し出すような今どきのやり方とは
随分違っていた記憶があります
でも 私だけなのかもしれません
私にとって 特別な場所がもうひとつあったからです
ちょっと歩くと
三島由紀夫さんが自決した
自衛隊 市ヶ谷駐屯地に出るのです
ここは ほとんど 閉鎖状態でした
(でも近代能楽集 卒塔婆小町と綾の鼓のファンの私は毎回のように 見に来ました)
ここからの眺めは
市ヶ谷駅を 外堀をはさんで向かい合い
殺伐として
何ともいえない風景です
よく紋也師は この外堀にある 釣堀に来ていました
目の前に市ヶ谷駅があります
釣りが大好きだった師匠の 憩いの場所でした