リアルタイムにレポート・・という当初の目論見とはかけ離れていた
アプネア・アカデミー インストラクターコース。
「開始しました!」と書いた初日はまだ体力が残っていたようで。
現地では、部屋でwifiが使えないという通信事情もさることながら、想像を遥かに上回る過酷なスケジュール。部屋に戻るとPCを開くどころか歯磨きもままならずベッドにダイブする日々でした。
ようやく帰国し、時差ボケに悩まされつつ東京の空気になじんできましたので、思い出しながら改めて修行記を、ポツポツと書いていきます。まずはちょっと巻き戻し。シャルムまでの道のりを振り返ります。
●シャルム・エル・シェイクへ
シャルム・エル・シェイク Sharm al-Shaykh は紅海に面したエジプトの国際的リゾート地です。
日本人の私には舌を噛みそうな地名ですが、アラビア語圏の人が話すととても美しい響きです。
日本からの直行便はなく、最低でも一回カイロを経由することになります。
私は成田発⇒アムステルダム経由⇒カイロ経由⇒シャルム・エル・シェイク
という道程、途中カイロで一泊したので、ほぼ2日かけて到着しました。日本との時差は-7時間で
日本の夜明けが現地の真夜中という感覚です。しかし、ヨーロッパの人にとって紅海は比較的手近なリゾート。現地のLCCでは、例えばスイスのジュネーブからシャルムまで直行便で4時間、往復2-3万円といったチケットも売っているそうです。東京から沖縄に行くような感覚なのでしょうか。冷たい海や湖しかない北欧や中欧のフリーダイバーにとっては、格好のトレーニング場所なのかもしれません。
フリーダイビングは欧州で盛んなので、彼らにとって身近な土地として過去にはAIDAの世界大会も何度かシャルムエルシェイクや、紅海周辺で開催されています。私は大先輩たちの色々な話や武勇伝を聞き、遥か彼方の国、として写真を見て来ましたので、「とうとう、私もここに来たか・・」という何だか不思議な感慨がありました。
ちなみにこの地については「ぼられる、お腹を壊す、食事に飽きるから日本食必携」というフリーダイバー達の通説のようなものがありますが、私はここに一つ付け加えます。「蚊取り線香必携」。 毎晩、巨大モスキートとの戦いを繰り広げることになりました・・・。
●旅の荷物
フリーダイバーの旅の荷物はものすごく多い。ウェットスーツ、フィン、ウェイト、
そういった機材だけでもう重量制限ギリギリです。重い上に壊れやすいものも多い。
長旅には本当に一工夫が必要です。
モノフィン(グライドフィン):
フリーダイバーの友人Tさんがハーレーでモノフィンを担ぐために自ら開発したという、特製のベニヤ式カバーを入手し、万全のプロテクトで臨みました。強度を考え頑丈なグラスファイバーのモノフィンをチョイスしましたが、グラスファイバー製でも私は一度、バハマのローカルエアーで見事にヒビが入ったことがあります。放り投げられるので大事なフィンもひとたまりもありません。それ以来フィンの運搬には細心の注意を払っています。今回はもちろん無事でした!
ロングフィン(C4):
カーボン製のデリケートなフィンなので、分解して段ボールで梱包して赤子のように終始抱きかかえていました。しかし、もう少し綺麗に梱包すればよかった、と後から少し後悔しました。手荷物検査の度にだいぶ、怪しまれました。
ともかくすべての荷物が一度のロストもなく辿り着いた時には本当にホッとしました。今回の旅程では乗り継ぎがトータルで6回あり、そのうち2回、アムステルダム空港では国際線の乗り継ぎ時間が1時間しかなかったにも拘わらず、一度もトラブルに合いませんでした。エアラインのシステムは進化しているなあと感心したのでした。
ともあれ、機材はどれも自分の身体の一部のように大事なものなので、壊したり無くしたりすると簡単には手に入らない。それ以上に自分の身体も無事たどり着いたことに感謝しつつ。カイロ空港で待ち合わせをしていたみみずんこと平井美鈴選手と合流し、やっとの思いでシャルムにたどり着いたのは、すでに夕暮れ時でした。
時間をかけてタクシーの運賃交渉をし、(にもかかわらず結局ちょっとボラれ、もう抗う気力もなく) とっぷり日が暮れた後にホテル「Club Reef」に到着。 すでに到着しているメンバーに迎えられ、 ほっと大きな大きなスーパームーンを仰ぎ見たのでした。そう、これが、束の間の安息でした・・・。
追記:
カイロでは修行の一環として?しっかりピラミッドにも行って来ました。
ラクダに乗ると酷い筋肉痛になるとは露知らず・・・。