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乳がんにならなければ、その年(2008年)の秋に、と考えていた挙式。
予定よりも一年おそくなったが2009年11月、結婚式を挙げることになった。
治療の都合だけでなく、夫の仕事の都合でも合計二度の延期をしていた結婚式。
それが決まったとき、両親はとても喜んでくれ、
出張がちの夫の代わりに、ドレス選びに付き合ってくれた母はとても嬉しそうだった。
しかしここでも、私にとってはショックなことがあった。
ウェディングドレスの試着をしたときのこと。
ドレスショップの店員の一言に傷ついた。
ウェディングドレスといえば、胸元のあいたデザインがたくさんある。
腋の下にある手術痕は、よっぽど高く腕を上げない限り見えないが、
やはり胸の手術痕はそういうわけにはいかなかった。
私の腫瘍は、乳がんのおよそ半分ができるといわれる位置、胸の上部にあったので、
そのさらに上に7センチほどの手術跡があるのだ。
試着をしてみると、ほとんどのドレスでその傷痕が見える。
「この程度の傷痕ならば専用のファンデーションでしっかり隠れますよ」
この程度。
おそらく「このくらいならば」という意味で、
そんなに気にすることはない、と気を遣ってくれた表現なのだろう。
でも、この時の私からすると、とてもそうは思えなかった。
どんな思いでこの傷を毎日見ていると思っているのかと。
どんな気持ちでこの傷と向かい合っていると思っているのかと。
不注意で転んでできた傷ならまだしも、生きるために選択した手術でできた傷跡。
それを「この程度」。
そんな風に言われ、悔しい気持ちでいっぱいになった。
ちょっとした言葉尻をとらえて・・・と思われるかもしれない。
しかし、その言葉を受け取った私が、敏感すぎるほどに傷ついたのは事実だった。
それこそ、この程度でいちいち傷ついていたら世の中やっていけない。
もちろんわかっていたが、まだまだ、病気に気持ちが負けていた、2009年6月。
髪の毛もやっと生えてきただけの、ショートカット。
コレをどうやってアップスタイルにしてドレスに合わせるか。
結婚式まで、あと、5ヶ月。
・・・次は、夫の出張~その後をお伝えします・・・