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2012/05/15

皆さん、おはようございます。
さて、今回は「主義」ということについてです。
例として検討した共産方式が、
今の地球、今の人間の特性から考えれば、
実現が不可能に近いということはおわかりいただけたでしょう。

また、後に崩壊があることはわかっていても、
欲望に従って引き摺られていった「資本主義」というやつが、
まだ今のところなんとか生き永らえていて、
豊かなところでは豊か、という状況を呈しています。

そんな中、ある国が共産方式を理想として、
無理やり国造りを進めたとします。
この時、共産方式の理想は「共産主義」になります。
国家運営の仕方としては、「社会主義」にならざるを得ません。

前に述べた通り、資源や物資が人口に対して有り余った国など、
地球のどこを探してもありません。
仮にあったらあったで、大国が狙ってしまいますから、
とてもじゃないが、独自の国造りなど不可能です。
すると、おそらくは豊かでない、貧しい状態で
国を造る必要に迫られるであろうと思われます。

貧しい状態で「共産」「共有」「平等」・・・
誰もが不満足な分量しか行き渡らないのは目に見えています。
貧しかろうと労力を惜しまず、足るを知る精神の持ち主・・・
そんな人間は、敬虔なる宗教者しかあり得ません。
こんな国で共産方式を貫こうとすれば、
全員が仏教の真面目な修行者でない限り、暴動が起きます。

特に、周囲の国は資本主義で、
能力や実績に応じた暮らしが出来るわけです。
そんな誘惑にさらされて、誰が貧しい共産を甘受できるでしょうか?

以上のような「出来そうにもない状況」でありがながら、
無理やりその方針を貫こうとするとどうなるか・・・
密偵を使った、離反者の排除が必要になります。
それも、国外追放ではなく、この世からの排除です。

「環境がそれにふさわしいとは言えないのに、信条を貫こうとする気持ち、態度」
これを主義、と言います。
本来の意味は後半部分だけでしょうが、
実際にある「主義」というやつは、前半のニュアンスを含みます。
少なくとも「カルト国家」と言われている国の掲げる主義は、
このようなニュアンスの主義なのです。

では、「カルト国家」が教条主義的だからといって、
「共産主義」「社会主義」を掲げた国家が、
その理想である平等にいきつくのか、と言われると、
これまた違ったことになります。
次回はそのあたりを考察してみましょうか。

2012/05/15 07:57 | bonchi | No Comments