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人生の途中でもいい。終わってしまった過去の事でもいい。長い時間の流れのなかで、人生も良かったり悪かったり色々と変化する。音楽もそうだ。それぞれの時代の流行の音楽というものがあり、一昔前はメディアがこぞって取材をしたりしていたものが新しい時代が来ると(例えば、昭和から平成と年号が変わったり)今まで売れていた音楽が全く売れず、時代の流れとともにコンピュータが発展しアナログ的なものからデジタル的なものに移行する場合がある。
私の音楽制作についてもそうだ。アコースティックピアノを人前で弾き頭の中で音楽を作り楽譜を書き演奏するといった作業をやってきた。
現在はほとんど、コンピュータを使用し音楽制作をする。
初めはクラシックの音楽制作をしたいと考えていた。今の自分の仕事にも生かせるし、頭の中で鳴った音を楽譜に書き起こす作業をもっと綿密にやっていきたい。また音楽とは何か、音とは何か、と学びたいという意思があったからである。
しかし、気持ちが変わり「コンピュータでの音楽制作」に大変興味を抱くようになったのである。
世の中にはクラシック・ポピュラー・民族音楽などさまざまな音楽ジャンルがあるが、メロディックな音楽形態ではなく、「音」そのものに大変興味を抱くようになったのである。
それはただ単にコンピュータに興味があるというだけでなく私達の周りから聴こえてきた音を具体音として捉え、音楽制作をしてみたいと自分の心の中に変化が生じた。
アコースティックの楽器を弾き指のタッチ次第で音色が変化するのは既に承知済みだがコンピュータでの「音の変化」は、これとはまた違う面白さがある。具体音を音楽として捉え、音響オブジェを作り繋ぎ合わせてアクースマティックミュージックを作ることに今は専念している。
少し前の私には考えられないことだ。アクースマティックミュージックという言葉も知らなかったのだから。
30代に入ってからDTMに興味があり、機械音痴の私がそのような音楽制作が出来るのかと不安ばかり先行して結局は手がつけられなかったのも事実だが、音楽学というものを勉強するようになってから気持ちの変化が見られた。
「音」に対する表面的な見方から「音楽の仕組み」「和声法」などを学びながら、今までの自分は楽譜の字面ばかりを追って音楽をしていたのだと気付かされた。
「時代の音」が変化するように自分の音楽制作にも大きな変化が現れたのだ。身の回りの音に耳を澄まし録音して、音として綴り、その音に生命を吹き込みたいとおもっている。
まだまだ発展途上にいるわけだが、どのように「音は変化」するのか。そして「自分の音楽制作がどのように変化」するのか楽しみでならない。