« ラ・ボエーム 大嫌いなオペラ | Home | ラッキードラゴン ウェディング »
独立を決定づけた出会いはバスケットボールのプロコーチ、東野智弥氏に出会ったこと。慶應バスケのトレーナーをしていた桑井太陽君の紹介で当時は三井生命のアシスタントコーチをしていた通称クラッシャーに渋谷で代々木第2の試合の後あったのです。初めて会いましたが、すぐに意気投合して、バスケの可能性や人とは何なのかとか心の話をしました。
それまで独立して、会社を設立するのか、クリニックを開業したらいいのかなどなど悩んでいましたが、なぜかそんな形式はどうでもいいと思うようになったのはその時にクラッシャーと話してからだと記憶しています。その頃、ユニークな独自のスポーツクリニックをとりあえず開業しようと、トレーナーや栄養士のメンバーと毎晩打ち合わせをしていました。そこにもクラッシャーに参加してもらい、クラッシャーと何か一緒にできることはないかと模索しはじめます。そこで思い立ったのが、スポーツの教育性。スポーツを診るという医療から、「スポーツで診る」という活動に切り替えたのです。スポーツの持つ価値でたくさんの人に役に立ち、パッチアダムスのように人のQOLに貢献できるのではれば、それも広い意味で医療だと確信したのです。そこで会社も立ち上げ、子供たちのためのバスケ塾「チームエミネクロス」を生業の1つとして始めることにしました。スポーツクリニック的な要素とバスケ塾の共存する活動です。わけもわからず無我夢中で始めたように思います。今考えると事業計画などまったくなくやみくもに情熱だけでスタートしました。
その後、コーチクラッシャーは優秀なコーチなので、ブロンコスのヘッドコーチ、トヨタのアシスタントコーチ、レラカムイのヘッドコーチを経て、全日本のアシスタントコーチを今はやっています。早稲田の大学院も卒業して、優秀な卒論が表彰もされているほどです。今はそれぞれの道を歩いていますが、クラッシャーとの出会いがなければ今のわたしはないと言っても過言ではありません。感謝。グラッツェ!
そして、ついに独立して、さらなるいばらの道が始まることになるのです。今思うと苦労の連続がスタートします。その後のストーリーもお楽しみに。