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「スゥーッ」と飛び立ったフクロウが何事もなく戻ってきたかと思うと、くちばしに一匹の
ネズミが挟まっていた。
なんの前触れもなく突如として上空から鷲摑みにされたネズミは、訳も分からないまま
意識を失っていっただろう。
野生動物の生き残る為に卓越された技術は、私達の目には神秘的で芸術的に映る
ものだが、動物達には獲物の捕り方など全くこだわりがある訳ではない。
ただ、食べ物が得られればいいのだから。
クマやキツネは利口なもので、列車のレール伝いに獲物を探して歩くことがあるという。
運悪く列車に轢かれてしまったシカなどが転がっていることを学習しているのだ。
毎年春にはダムの周りに雪解け水の流れと共に漂着するシカの死骸を求めて、クマ達
はしっかりとチェックしているようだ。
そんなふうに人間の作り上げた環境をうまく利用している動物達。
「楽さ」を求めるのは人間も野生動物も同じこと。
ただ、動物達は人間と違って「楽さ」を安定して得られる環境を自ら作り出すことはでき
ない。
だからこそ生きる力を忘れることなく備え続け、脈々と命を繋げているのだろう。
私達はどうか?
ふっと思うことがある。
自らが生きる力をどれだけ備えているのだろう・・・。
ちょっとした自然災害が起きただけでパニックに陥ってしまう今の人間社会。
いざという時に生き延びることができるのは、進化し続けてきた人間ではなく、昔から何
も変わらず生きてきた野生の生き物達なのかもしれない。
今日は「森の神」がそんなことを感じさせてくれた。
その後、フクロウはネズミの体をあちこち突っついた後、最後は一気に丸呑みにして
しまった。
ネズミの体が喉を通過した後、野生の鋭い表情は消え、また何事もなかったかのように
目を閉じて穏やかな表情でうろの前に佇んでいた。