« | Home | »

2012/03/01

お久しぶりです。タモンに風邪をうつされたなおです。

 

『源氏物語』をめぐる「都市伝説」について考えるシリーズ、第二弾は、「光源氏ロリコン説」の検証です。

 

「光源氏ロリコン説」は、以前このコラムでも扱った「マザコン説」と並んで巷でよく唱えられる説だろうと思います。

一目惚れした少女、若紫(10歳程度)を、少女の父親の許可無く勝手に自邸に連れてきてしまう光源氏(この時18歳)。

現在だったら、

「ロリコンの18歳、10歳の少女を誘拐。わいせつ目的か!?」

とニュースになりそうなこのエピソード、確かに現代人の目から見ると、この光源氏の行動は、かなりアブナイ。ロリコンの変態と糾弾されても仕方がないようにも思われます。

 

しかし、もうちょっと厳密になってみる必要があるようにも思います。

 

「ロリコン」とはどんな人たちか?

(←「そこ!?」というつっこみはちょっと待ってください。)

 

辞書は、「男性が、性愛の対象として少女に偏執すること。V=ナボコフの小説「ロリータ」による語。ロリコン。」と定義しています(『日本国語大辞典』)。(社会学や心理学等の立場からの定義はまた別にあるのかもしれませんが、とりあえず一般的な用いられ方を確認して良しとしましょう。)

 

 

「光源氏がロリコンか?」という問いは、厳密に言えば、「光源氏が10歳前後の少女、若紫に性的な欲望を感じたか」ということになるのではないでしょうか。

 

そして、本文を丁寧に読めば、その答えはNOだということが言えるのではないかと考えています。

 

具体的に見ていきましょう。

 

まず取り上げたいのが、光源氏が初めて若紫を見いだした場面。古文の授業で良く読まれる箇所です。北山に病気療養に行った光源氏が、北山のある邸宅の様子を垣根の隙間から除く(垣間見をする)と・・・

そこにいたのは、ペットの雀に逃げられたと泣きじゃくる、絶世の美少女。しかも、光源氏の最愛の人で許されない恋の相手、藤壺に生き写しだったのでした。

 

ここでの光源氏の心情を引用してみましょう。

「つらつきいとらうたげにて、眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額つき、髪ざしいみじううつくし。ねびゆかむさまゆかしき人かな、と目とまりたまふ。さるは、限りなう心を尽くしきこゆる人にいとよう似たてまつれるがまもらるるなりけり、と思ふにも涙ぞ落つる」

(顔つきがとても愛らしく、(まだ大人の女性としての手入れをしていない)眉のあたりがほんのりとした美しさで、子供らしくかきあげている額つきや髪の生えている様子がたいそうかわいらしい。大人になっていく様を、是非見届けたいと思わせる人だなあ、と源氏の君は少女から目を離せないでおいでになる。というのも、限りなく深い心をおよせになっているあの方にとても似ていらっしゃるからなのだ、とお気づきになるそばから涙が流れてくる)

 

ポイントは、少女を見つめて「生い先を是非見届けたい」と言っているところです。彼が限りない思慕をよせる相手、藤壺にそっくりの少女ではありますが、今すぐどうこうしたいとは言っていないのです。

 

ただし、次のあたりは、ちょっと怪しい。

「さても、いとうつくしかりつる児かな、何人ならむ、かの人の御かはりに、明け暮れの慰めにも見ばや、と思ふ心深うつきぬ。」

(それにしても、ほんとうにかわいらしい女の子だったことだ。どういう人なのだろう。あの方の代わりに、明け暮れの心の慰めとして見たいものだ、と思う心に深くとりつかれた。)

 

光源氏が、少女への執着を深めていく心境が描かれます。この執着が、性的なものでないと言い切れるか。「見ばや」も「妻として側に置きたい」の意にとれそうで、「ロリコン説」に反論したいなおとしては、ちょっと苦しい箇所です。

 

とはいえ、若紫を屋敷に引き取った後の光源氏は、彼女のよき教育者であり遊び相手であり、それらの場面からは、特に性的な要素は感じられません。むしろ、大人の女性達の愛執に苦しめられる光源氏が、少女の純真さに癒されている面が強調されていると思います。

光源氏が、紫の上を「女性」として意識するのは、正妻葵の上を亡くして、葵の上の実家で喪に服していた彼が、久しぶりに紫の上に対面した場面です。少女だった若紫を引き取ってから4年が経過、彼女は14歳になっています。

 

「久しかりつるほどに、いとこよなうこそおとなびたまひにけれ

(「久しぶりにお会いしたら、すっかり大人になられましたね。」)

と光源氏が声をかけると、恥じらう紫の上。その姿を、光源氏は「飽かぬところなし」(非の打ち所がない)と評しています。

 

姫君の何ごともあらまほしうととのひはてて、いとめでたうのみ見えたまふを、似げなからぬほどにはた見なしたまへれば、気色ばみたることなど、をりをり聞こえ試みたまへど、見も知りたまはぬ気色なり」

姫君の何事も申し分なくすっかり成人なさって、とてもすばらしいご様子であるので、もう不相応な年齢ではあるまいとお考えになって、結婚のことなど、折に触れてほのめかしてみるのだけれども、女君の方は、まるでお分かりにならないご様子である)

 

ここでも、紫の上が成人し、結婚の適齢期を迎えたことが強調されています。(本人は結婚など思いもよらないようですが)

すごく具体的に言ってしまえば、紫の上が初潮を迎えて、光源氏と結婚する準備が整ったことが読者に示されているのです。

 

この直後、ついに光源氏と紫の上は結ばれます。

紫の上と新枕を交わす決断をする光源氏の心境にも注目してください。

 

「心ばへのらうらうじく愛敬づき、はかなき戯れごとの中にもうつくしき筋をし出でたまへば、思し放ちたる年月こそ、たださる方のらうたさのみはありつれ、忍びがたくなりて、心苦しけれど・・・」

(姫君は気性が賢く、魅力的で、なんでもない遊戯をするときも、筋のよさをお見せになるので、結婚相手としては思ってもみなかったこれまでの年月は、ただ子供らしいかわいらしさは感じていたのだが、(今は女性としての魅力に)抗いきれなくなって、心苦しくはあったが・・・)

 

ここには、光源氏は紫の上が身体的に大人になるまで手を出さなかった、大人になった紫の上に、初めて結婚相手としての魅力を感じた、ということが明示されています。

 

以上のことを踏まえると、物語はむしろ、光源氏が、「ロリコンの変態」と読者に認識されないよう、かなり意識して、繰り返し説明を加えていると言えるのではないでしょうか。

但し、光源氏と結ばれた紫の上、体は大人でも、心はまだおこちゃま、いきなり強引に関係を迫ってきた光源氏には、腹を立てたりすねたりしています。

 

そういう点では、ちょっと「ロリコンチック」とは言えるのかもしれません。

 

ええっと。結論。光源氏は少女に手を出してはいません。だから、(たぶん)「ロリコンの変態」ではないはずです。物語作者としても、そのようなグロテスクな展開にならないよう、かなり注意を払って筆を進めているように思います。

2012/03/01 02:01 | rakko | No Comments