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竜半のパフォーマンスには一応テーマがあります。それは、「だいたい和」。
傘回しやけんだまなど、和風のパフォーマンスを全面に押し出す……のではなく、
やっていることは普通のジャグリングではありますが、
衣装・音楽・道具のデコレーションなどは、なるべく「和」で統一させておこうと思っています。
このことを意識し始めたのは2005年の話で、
先日記事にあげたIJA(国際ジャグリング協会主催のフェスティバル)の参加がきっかけです。
先にも書いたとおり、この年は、IJAのチャンピオンシップ、ジュニア部門で1~3位を日本人が独占しました。
その中でも特に2位を取ったKomei Aokiくんと、1位を取ったボンバングー君の演技に共通していたのが、「日本を連想させる曲を使った」ということです。
二人がそれを意識したかどうかは別として、
Komei君は戦後のラジオから流れる放送を意識したかのような曲、電気グルーヴの「エジソン電」。
ボンバングー君は北野武監督の「座頭市」の曲。
両方とも、形式は違えど「日本」を連想させるような曲です。
この二人は、それぞれこれ以外の曲も使ってはいましたが、この二人の演技を見たとき、
「そうか、日本人なのだから、世界に出るためには日本人であることをアピールした曲を使うべきだ。」
ということを強く感じました。
しかし、日本人であることを全面に押し出すのであれば、
使っている道具についてもこだわりたい。ボールはお手玉と見立てられるからいいとして、
シガーボックスは「洋」です。日本のものではない。
では、けんだまのような日本の道具を取り入れたパフォーマンスをすべきなのか?
このことについてそこまで迷ったわけではありませんが、
自分の目指す方向性を後押ししてくれたのは「大神」という、プレイステーション2で発売されたゲームでした。
「大神」は、発売から6年くらい経った今でも僕のプレイしたゲームの中で堂々と
「一番好きなゲーム」と言えるくらいの大好きなゲームなのですが、
グラフィックスを「本物に近づける」ということを敢えて追求せず、全て「水墨画調」で統一したという画期的な作品です。
舞台は、多くの桜が咲き乱れる「ナカツクニ」という架空の世界。
登場人物も狼の姿をした神様、アマテラスを主人公に、此花サクヤ姫、スサノオ、里見八犬伝の伏姫と八犬士など、
日本の神話や物語をモチーフとしたキャラクターたち。
音楽の雰囲気も和風の旋律を主体としたもので、「現代版昔話」とも言えるような素晴らしい作品です。
このゲームのいいところを語りだすとそれこそ記事を一つ使ってジャグリングとはまったく関係のない話をしてしまうことになりますので割愛することにしますが、
(※でも本当に素晴らしいゲームです!)
その「大神」のサントラCDに、
「純和風の音楽を目指してしまうと、曲調が暗くなってしまう。
しかし、大神は『癒し』をテーマにしたゲーム。純和風ではそれが表現できない。
よって、和楽器は多く使うが、『和風に聞こえる』ことに重点を置き、
特に和の旋律にこだわるということはしなかった。」
といういった意味の作曲家からのメッセージが書かれておりました。
そういえば、音楽の世界でも吉田兄弟という三味線のユニットが有名ですが、
彼らの音楽も、そこまで純粋な和のスタイルではなく、むしろ、「和」をさらに現代っぽくアレンジしたものです。
そもそもジャグリングというものも西洋で発展してきたものですし、僕が本当に好きなのはジャグリングであって、
いくら日本っぽいイメージを出そうと思っても、中途半端になってしまいそうです。
それならば、いっそのこと割り切って「だいたい和」を目指してみようではないか。
例えば、通常最初にバルーンを配るような大道芸人さんはよくいますが、代わりに折り紙を配るとか、そういう風なことをして、
大道芸を「和」っぽくアレンジできるのが「竜半」の完成された方向だとも思うのですが、まだそこまでには至っていないです。
音楽・衣装・道具の柄などの、目に見える部分しか「和」ではないですからね。
ちょっとまだ「だいたい和」までは遠いと思います。
とはいえ、最近、以前と比べてまじめに衣装を選ぶようになってきたのもこのスタイルを目指しているからこそ。
「竜半」という名前もなんとなく意識しつつ、今後もこのスタイルを目指して行きたいと思っています。
「大神」については、ももうさんの許可が下りたらジャグリングのこと一切関係なしに全力で書こうと思います。