大分エントリーが空きましたが、「僕の見た日本のジャグリング史」カテゴリの続きの記事です。
2004年までの日本のジャグリング。
シガーボックス、ディアボロと世界を超える勢いで進化をしていた日本のジャグリング界ですが、
この頃日本のジャグリングを牽引していた面々の中に、中学生や高校生もいました。
時間は社会人よりありますし、うまくなるスピードは若い人のほうが早かったりします。
大学生もうまい人は多かったのですが、当時、客観的に見て「ジャグリングがうまい人」というラベルが貼られる人たちは、
大学生だろうと、高校生だろうと、中学生だろうと、始めた時期が似たり寄ったり
(「幸せ家族計画」や「テレビチャンピオン」を見てはじめました、という人が多い。)
で、練習時間にそれほど差異もなかったものと思います。
2002年~2004年の間、JJFの上位には大学生も多かったのですが、
高校生や中学生も同様に食い込んできていました。
そして、以前日記に書きましたとおり、
この頃の日本人のトップジャグラーは、ジャグリングの舞台としての最高峰、
「IJA(国際ジャグリング協会主催のジャグリング競技会のこと)」の出場に手が届くかどうか、
というところで、2001年に松浦さんが出場を果たして以来、毎年のように誰かがファイナリストとして名を連ねていました。
勿論、ファイナリストになるような人は、日本のジャグリング界をけん引するような人たちばかりでした。
そして、2005年についにその時が来ます。
この年は、僕もIJAに出場すべく、初めての海外旅行としてアメリカに渡りました。
僕同様、多くの日本人がIJAのファイナリストを目指して同じ大会に参加しており、予選に臨みました。
しかしながら、やはりIJAの壁は厚く、多くの日本人ジャグラーが予選敗退となり涙を飲みました。僕もその一人。
希望は、ファイナリストの4人と1組の日本人ジャグラーに託されます。
この前の年の2004年にもIJAのジュニア部門に出場したKomei Aoki君。
2004年のJJFで3位という成績を残したボンバングー君。
2003年のJJFで優勝している桔梗崇君。
彼ら3人が18歳未満のみが出場できる「ジュニア部門」に出場。
チーム部門には、その桔梗崇君とお兄さんの桔梗篤君の2人組、Kikyo Brothersがコマを進めます。
彼らも2003年・2004年のJJFでチーム部門優勝の実績を持ちます。
さらに、2002年にIJAジュニア部門で優勝した矢部亮君は今度は年齢制限なしのインディビジュアル部門へ出場。
Komei君とボンバングー君、桔梗篤君はこのとき確か高校2年生。
桔梗崇君が中学3年生で、矢部君も成人していたかしていなかったかというところだったかと。
彼ら全員が日本のジャグリングを牽引してきた人物で、当時ジャグリングをやっている人だったらばほとんどの人が知る人だったはず。
特に、ジュニア部門に出場する3人はいずれもJJFでも活躍している実力者だけに、
「これは、もしかすると1・2・3フィニッシュがあるかもしれないな」と期待していたものでした。
ジュニア部門の演目が始まります。
トップバッターは桔梗崇くん。やや最初緊張が見られ、ドロップもあったのですが、
途中から実力どおりがんがん難しい技を決めていき、最後は5つのクラブを成功させて終了。トップバッターとしての役割を充分果たしました。
3番手に出てきたKomei Aoki君は、世界中のジャグラーがまだ誰も見たことのないリングの技をこれでもか、これでもか、と披露。
あまりの斬新なジャグリングに、観客席のジャグラーが発狂のような大興奮。
ドロップの数も全体的に少なく、世界の舞台でスタンディングオベーションを巻き起こします。
そして、ジュニア部門のトリをつとめたボンバーグー君。
彼は、当時から子役として色々な舞台に立っている人物でして、大人ジャグラー顔負けの舞台上の振る舞いを見せ付け、
最終的には7つのボールをジャグリングして終了。彼もまた、スタンディングオベーションを受けます。
多少日本人びいきの思いがあったとはいえ、それを差し引いても、他のジュニア部門の出場者に比べて3人のレベルが圧倒的に高く、
客席では、日本人ジャグラーたちが「これはある!!!」と期待に満ちて審査結果を待ちます。
審査発表。
The 3rd prize goes to…… Takashi Kikyo !!!!
と、呼ばれた瞬間、僕はほぼ1・2・3フィニッシュを確信していました。
2位がKomei Aoki君、1位がボンバングー君。
あまりの快挙に、客席で見ていた僕はぼろぼろと涙をこぼしてしまいました。
考えてでもみてください。
オリンピックなら、日の丸が3つ掲揚されているところですよ!!!
そんな歴史的な瞬間にその場に居合わせたことがうれしくて、予選敗退なんかどうでも良くなってしまいました。
MCは、”American jugglers!! Practice!! Practice more!!!”と叫んでおり、
ショーの帰り際、おばちゃんが、隣にいる旦那らしき人物に、
“Was it Japanese show?”
とつぶやいていたのが印象的でした。
翌日開催されたチームとインディビジュアルの部門でも、Kikyo Brothersが2位、矢部亮君が優勝という快挙を成し遂げます。
(因みに、2011年までの時点で、インディビジュアル部門で優勝した日本人は矢部君だけです。)
この年から、「日本」という存在が世界中のジャグラーから注目され始めたのではないかと思っています。
wikipediaによると、日本はジャグリングの新興国と呼ばれているそうで。
そう呼ばれているところは聞いたことがないのですが(笑)、確かに世界中のジャグリングシーンの中で、
日本のジャグリングは最もホットな場所のひとつに数えられるのは間違いないのではないかと思います。
もうこれが7年も前のことになるのか……としみじみと思いますね。
矢部亮君とKikyo Brothersはいまやシルク・ド・ソレイユの登録パフォーマー。
大道芸ワールドカップでも堂々と招待パフォーマーとして出場しています。
ボンバングー君はその後「マッスルミュージカル」等に出演した後、やはりプロとして活躍をしています。
そして、Komei Aokiは、いまや日本のジャグリングを代表する人物となり、
世界中の多くのジャグリングフェスティバルにゲスト出演を果たすような人物になっています。
2005年のIJAのこの快挙は、日本のジャグリング界における大きな事件でした。
何よりもうれしいのは、運よく僕がその場にいることができたことですね。