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寒そうに身体を震わせながら、彼女はいつものように飛び込んできた。
餓えた獣のような、捨てられた子供のような攻撃的で寄る辺ない顔をして、どすんと身体ごと椅子に座る。急に重みをかけられた年代物の椅子が軋み、弾みで鏡越しに目が合った。
ここに来るとき、彼女はいつも泣きだしそうな顔をしている。
知り合って5年。その間ずっと、彼女はいつも僕の店で髪を切っている。
「あたし、今日失恋したの」
外気に触れて冷たい髪に櫛を通し、毛先だけを慎重に切りそろえる。彼女は鏡をまっすぐに見て、細い蛇口から流れる水のように声を流した。濡れた髪はすこし雪の匂いがした。
「なんか思ってたのと違うんだって。何が違うのって聞いても答えないの。傷ついた顔なんてしちゃってさ、ごめんねって。お前のためだからって。わけわかんない。そんなのありだと思う? だってあたしたち、まだ付き合って2カ月くらいしか経ってないのに」
僕にではなく鏡に映る自分に話しかけるように、淡々と話す。学校指定のサージの生地に触れるか触れないかの微妙な長さ。たぶん彼女の輪郭に一番合う、癖のないまっすぐなストレート。中学生のころから彼女の髪を切り続けて、一度もそれ以外の髪形にしようとしたことがない。彼女も文句も言わず、いつも同じような姿で現れる。
「あたしホントに好きだったのに。ありえないよ。なんだよそれって思ったよ。思ったけど」
言えなかったんだろう、と僕は口を挟んだ。彼女は頷いた。頷いて、それから堅く唇を引き結んだ。決して美人ではないけれど、笑えばそれなりに可愛いだろう彼女の笑顔を僕は一度も見たことがない。ここに来るのは大抵なにか良くないことがあった時で、髪を切らせるのは口実で、彼女は梳いた髪と一緒に何かを捨てに来るのだろうと思う。ゴミ捨て場。ゴミのように捨ててしまいたいことがあったときに、鏡の中の自分以外に打ち明ける相手を彼女はまだ持っていないのだろう。それは弱さではなくて、彼女の強さから来るものなのだろうけれど。
ドライヤーで髪を乾かしていると、ぽつん、と呟くように彼女は言う。また来るね、と。来てもいい、ではなくて、来るね、と。許可を取らないのは逃げ場を作らないためなのかもしれない。
僕は頷く。理由が理由だけに待っているとはいえず、それでもいつか彼女の強さが報われる日が来るまでは、この店を開けていようと思う。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。