さくらグランプリ受賞!『僕の心の奥の文法』
見事、本年度のさくらグランプリに輝いたのが、
イスラエルからやってきたこの作品だった。
ニル・ベルグマン監督は02年『ブロークン・ウィング』に続いて
二度目のグランプリ受賞という快挙を成し遂げた。
左から監督のニル・ベルグマン、アハロンの母親を演じたオルリ・ジルベルシャッツ
舞台となったのは、1963年のイスラエルの首都エルサレム。
第二次中東戦争(1956年)から第三次中東戦争(1967年)勃発まで
戦火とは奇跡的に無縁だった時代を
感受性豊かなユダヤ人少年の視点で照らすと、
ユダヤ対パレスチナのモノクロ世界が
カラフルでリアルな世界に変貌するから不思議だ。
アハロン少年は、両親と姉、痴呆症の祖母と平和な毎日を送っている。
家族だけではなく、友人や初恋の女の子、騒々しい隣人たちに囲まれながら、
彼は常に最後ひとりになる。
人の輪から自ら弾けるように出たり、あるいは弾きだされたり。
異物のように沈んだり浮いたり。
そして文字通り、アハロンだけ成長が止まる。
友人たちの背がグングン伸びていくのに、
彼の壁に標した背丈は二年前と同じままだ。
身長だけではない。体重も筋肉も……
「この人たちはすでに死に向かっている」
人々がイスラエルの建国を祝っておどり騒ぐ独立記念祭。
彼はその楽しげで華やかな雰囲気の奥に潜むはかなさと虚しさを感じとる。
ユダヤ人の視点しか持たない周囲からポツンと浮かんで俯瞰するアハロン。
友人の家の車に投石するパレスチナ人らしき男を目撃したときも
彼の独特なセンサーは男の行為の背後に隠れている何千何万もの負の感情を
キャッチしてアハロンを恐れわななかせる。
また、アハロンは英語を勉強するうちにヘブライ語にない現在進行形に
泡の中にいるような感覚を抱いて魅せられていく。
そして、アハロンイング という自分だけのヘブライ語をつくり出す。
彼が発明した文法をニル・ベルグマン監督は
大人になりたくない、子供のままでいたいという思いを
示していると語る。
アハロンは違和感をおぼえる場所にいくと、
この独自の文法を使って心の中で自分と対話する。
ただ、彼が大人になりたくないというのは
単に安全で快適な世界にとどまっていたいという願望から
生まれた気持ちではないように私には思える。
むしろ逆のようだ。
ユダヤ人のホロコーストを盾にとったアラブ、パレスチナ人への過剰防衛。
自分たちがかつて味わった苦しみを
パレスチナ人に与えていることに気づいて、
彼は大人になることを拒否したのだろう。
批判を許さない好戦的な人間に取り囲まれて
アハロンは窒息しそうになる。
その度に泡の中で息継ぎするように
内なる自分と現在進行形で話す。
敏感すぎるセンサーが取り込む強い刺激を中和するための
彼なりの工夫なのかもしれない。
そうしなければやり過ごせない日常が確かにあるのだ。