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地球の舳先から vol.217
東北/被災地 定点 vol.4(全10回)
果たして朝が来てはじめて、わたしは対岸がとんでもないことになっているのを見ることになる。
すべてを隠してしまう、夜の闇というのは恐ろしい。
昨晩露天風呂から見た対岸の光が数えるほどしかないことには気付いていたが
逆に、あの光はなんだったのか?と思うほど、対岸の志津川は“更地”だった。
フロントに「被災地を回りたいので」と伝えてあったので、迎えに来たタクシーは観光協会のロゴが印字された車体で、運転手さんは慣れた手つきでまず3.11前の空撮写真を手渡してくれた。
山道を走り、志津川地区へ着くと、文字どおりの更地に、ところどころに瓦礫や車の山、骨組みや土台だけが残った土地が目の中に入った。
被害状況を淡々と説明しながら、車を走らせ、頻繁に止まってくれる。
早朝ということもあり、ほとんど人はいないが、少ない歩行者は行き違う際にあたりまえのように挨拶を交わす。
大きな瓦礫は片付けられているものの、1か所に集められているだけではある。
加えて津波の被害があった場所は建築制限がかかっていて、持ち主でも手を出せない。
それでもクリーニング屋や床屋など、プレハブで営業を再開しているところが数か所あった。
泥のなかからかき出したのだろうか、きれいに洗ったぬいぐるみが手向けられているところもある。
テレビでよく映った防災対策庁舎の3階建ての建物も、骨組みだけになって残っていた。
自身が逃げ遅れるまで、無線放送室から避難を呼び掛け続けた女性職員は今も行方不明。
すぐ近くには、チリ地震時に来た2.4mの津波の看板があり、それを安全基準に建物が作られたことを示している。その6倍もの津波が、すべてを押し流したのだ。
庁舎の天井を眺めて、「こんな巨大津波が、SF映画以外で存在するのか?」と思う。
この目で跡地を見ても、想像の範疇すら超えていた。
漁港の近くへ行くと、一気に足場が悪くなった。
津波の影響で地盤沈下が起きており、満潮ともなれば海抜がゼロ以下に落ち込むのだ。
大破した堤防、海水浴場。絶好の遊び場になっていた小島へかけられた橋は跡方もない。
もはや海と化しそうな砂地を指して、ドライバーさんが「前はこのあたりに会社があって」と言う。
なにか、自分がとてつもなく非道なことをやっているように思えるものの、慮っておろおろするほどの余裕もなく、頷くしかない。
最後に、鮭の養殖場へ行ってくれた。そういえば、秋鮭の季節である。
卵を大きく育てるため、海に浮かべた檻の中で激しすぎるほど跳ねる鮭。
網に近づく、大きく黒い魚がはっきりわかるほど、水は澄んでいた。
「鮭は本来は白身の魚で、海老とか食べてあんな綺麗な色になる」という
海の人間からしてみたら当たり前の話すらわたしは知らずに驚き、
湾の鮑がどこかへ行ってしまったと嘆くドライバーさんにも、またしても頷くことしかできない。
自然の力、といってしまうにはあまりに、暴力的な光景。
「復旧から復興へ」などという言葉がちらほら聞かれ始めているが、
とてもそんな状態にないのは一目瞭然だった。
瓦礫を片付ける(というか1か所に集める)という1次処理は終わったものの
じゃあその瓦礫はどうするのか?地盤沈下した海沿いに建物は建てられそうもない。
では、この土地は?生き残った人が、生きていく道は?
おそらく、誰も、指針どころか、方向性の絵すら描けていないのではないだろうか。
しかしこの光景を目の当たりにしてしまうと、それを責められもしないと思ってしまう。
何から手をつけるべきなのか皆目見当もつかないのは、わたしが素人だからであって欲しい。
心と頭のどこかが、麻痺したように、考えること、感じることを制限しているように
うすぼんやりと靄がかかったようになっていた。
個人としての感想すらまとまらないまま、ほぼ1時間を巡って再びホテルへ戻る。
気仙沼へ行くバスの時刻が迫っていた。
今日は、長い一日になる。
こんなに心の準備ができていないまま移動をするのは気が引けたが、
おそらく見ても信じられないものに出会うのだろうから、準備のしようもない。
そう割り切って、駒をすすめることにした。
つづく