« BRICSの国ブラジルより 2011-11-20 19:38:48 | Home | 宗派選び »
どうしても、私が曲独楽の話をさせてもらう時に毎回決まってする話題がいくつかある。
- 曲独楽の製作者の後継者不足
- 曲独楽師の自然との共存の流儀
- 伺ったご当地の風土・人との縁
さて、今回はそのうかがったご当地の風土・人との縁の話。
大体において、上記分けて書いているけれど、
問題は、文化のグローバル化と、
それに振り回されて無くなったものについて考える、
歴史に真の意味で学ぶ事の大切さを若い人に伝える役目の事、
といった内容だと思う。
そういう事を本気で考えるきっかけになったのが、
台湾の宜蘭県に日本代表で参加したフェスティバル。
あれから10年たったんだ~。
無理も無い。当時は結婚前、若手バリバリ。今では息子二人、8歳と6歳だものね。
海外へと打って出るべきだと、私は考えていたから、当時
曲独楽製作者の先生の作品を収集していた台湾の方が、
自分の数千点のコレクションを中心にしたおもちゃ博物館を中心に、
こどもの遊びとダンスの祭を開くから、来て欲しいとの話、
さっそくご招待していただいた。
ほとんどダンス参加の方だから、オーストラリアのクラウンと私、
パフォーマーは二組だけだった。
台湾は、とてもたくさんお店があったりする、にぎやかなイメージしかなかったけれど、
私が呼ばれたのは、都会の台所である農業県の宜蘭県。
行ってみたら、日本の農村と変わらない事に、安心感、親しみが持てた。
本当に日本語が通じそうな顔立ちの人が多い。
実際、戦時中小学生だったという方々は、幾つかの童謡唱歌を嬉しそうに披露してくれ
たし、忘れそうだからと、積極的に日本語で話しかけてくれる人が町中でも多かった。
中には、日本人としてオリンピックの水泳代表選手になった人がいたり、当時の占領体
制を思い起こさせる話も、たくさん聞いた。
台湾の人は、みんな優しい。
よほどの事が無い限り、みんな占領中の日本の統治を褒めてくれる。
そのわけは、宜蘭には、西郷隆盛の息子、
菊次郎(お妾さんの)が統治者として赴任して、
毎年洪水を起こす暴れ川を工事して整備した歴史がある。
その治水した親水公園で、私は曲独楽を披露させていただいた。
西郷さんの住んだ家も、半月滞在するから、案内してもらった。
建物はきれいに保存、観光で見るポイントにもなっている。
すごく大きな3mの石碑をたてて、功績を称えている。
そういう歴史があるから、宜蘭の人は親しくしてくれる。
日本の人は、うそをつかないし、きれい好きだ、と。
各国の言葉と文化を若い人が学ぶ為に、台湾政府がバックアップしたフェスティバルだから、夏休みの年度休み中にするアルバイトとしては絶好の機会。
ボランティアスタッフの、ほとんどが大学生だった。
積極的に話をしてくれて、私も文学から志村けんさんの歌と踊りまで説明した。
人同士の交流の素晴らしさを、実感した。
台湾のコマは、とても大きくておおらかだった。
刃物があまり研がれていないのか、訪問した工房で、
製作中に度々コマが跳ね上がっていたのを思い出す。
あまり形にとらわれない、豊かな風土が、そのまま出ているものが多い、宜蘭。
当時、型にこだわっていた私の、肩の凝りをほぐすいい刺激をもらいました。
宜蘭と愛媛の内子の山は、とても似ているんですよ…。