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2011/10/23

こんにちは。根本齒科室の根本です。

この間書いた『アレ』、意外と根深い問題だなあ、困った・・・

問題を前にお互いが「見て見ぬ振り」を積み重ねていくと、「疑心暗鬼」に変わります。
この、結構文化的に根深い問題かもしれない、「見て見ぬ振り」は、何に原因があるのか。


もっと言えば、日本の歴史的規範とは何だろう?
高校時代、世界史で連続赤点を取ったミスター仮進級の俺に、分かるわけない、か。

んー、でもたとえば「原子力ムラ」というからには、日本の伝統的ムラ社会系だろう。
で、ムラ社会のもとって何だろう?でも今から山本七平先生の本を買うのもめんどい。

軽く本気でググっていたら、井沢元彦氏の何かの小論文に当たりました。
ついに大国主命→天照大神の「国譲り」の話にまで行ってしまいました。

(超はしょります。僕が言ったんじゃないですよ。井沢さんですよ井沢さん)
天さん「よこせ」
大さん「いやだ」
天さんに攻められ、大さん防戦一方。子供の兄は自殺、弟は諏訪へ逃げます。
大さん。くやしいけど、「負けた」とか言いたくない。
「話し合いで決めて国を譲った」とごまかすことにしました。アレ、出雲大社の向きが・・

これが「日本的話し合い」「日本的多神教」重視の伝統の基礎になるものだそうです
・・・(僕が言ったんじゃないですよ。井沢さんですよ井沢さん)
つまり「日中は根回しときどき調整、所により隠蔽、ときには思考停止やガマン」です。  ①
かなりヤバイ状況や恥ずかしい状況でも「話し合いで可決」にしとけば一応格好がつく

何かとストレスはたまりそうですよね。

時は過ぎて聖徳太子の時代です。有名な十七条憲法ができました。
第1条「和()空気嫁」
これは、つとめてにこやかに仲良くしろと言うことではありません。
天さん大さんのようなガチンコにならないように、何とか集団で空気嫁ということですね。
一神教の伝説のような大暴れや37564はやめなさい、たまにはメロンも美味しいよ、てことです。

2条から先はどこに何があるかを全て忘れていたので、調べました。そしてまた忘れました。
(第2条「仏法僧」第3条「天皇中心」)

で、ラストです。
第17条「大事なことは独りで決めてはいけない」
来ましたね。

これは官僚向けに作られたものだそうですが、徹頭徹尾リーダーシップの否定ですよね。

だいたい「空気嫁」に始まり、「ひとりできめるな」で終わるような思想を強要されたら?
考えなくても分かります。

 人はみな安定した組織・小集団を作ろうと思うようになります。
 人はみな誰も決定責任を取ろうとしなくなります。サッカー日本代表もそうでした。
 人はみな抜け駆けに厳しくなり、足の引っ張り合いになります。

心の中で「誰も責任を取らず、抜け駆けに厳しい中小規模のぬるま湯集団」を渇望する。
誰もが、馴れ合いが好きで群れたがり、微妙な空気を読んだりしてさらに膠着する。
まるっきり官僚とか組合とか町内会のノリです。誰も責任を取りたがらずに馴れ合うばかり。
まったく現在と同じですね。  ②

もう少しすると、原始共産制の大化の改新とか律令制とか出てきます。
しかし肝心の国民が②のような馴れ合い大好きなのばかりでは、いろいろ無理があります。

いちおうしっかりした律や令を作るのですが、すぐに見向きもされなくなります。
補足的な「格・式・例(今で言う通達、行政指導、規則、疑義解釈etc)」がすぐに大手を振るい、
肝心の律や令は、9条以外の日本国憲法のように、誰も気にしなくなってしまいます。  ③

また、当時はかなり階層流動性が低い良民賤民(五色の賤)を制定していました。しかし当然
「②誰も責任を取らず、抜け駆けに厳しい中小規模のぬるま湯集団」大好きな人々が集まり
「①日中は根回しときどき調整、所により隠蔽、ときには思考停止やガマン」に明け暮れていたら
そりゃあ、田舎の町内会のような微妙な空気になるのは時間の問題です。

そんな感じで、中世です。
たまにムクリコクリ(蒙古&高麗)が2回くらい来たりしますが、たまにですよ、たまに。
基本四方の海に守られて安全、四季も明確、水資源に富んだ温帯の島国の中では、人々は

( ^∀^)こうではなく、やはり( ´∀`)こんな感じだったんだと思います。

これに比べて大陸勢力(ランドパワー)は海洋勢力(シーパワー)と違って厳しいですね。

班田収授の法もなし崩し、荘園もグダグダ、守護地頭もダメダメ。
この時代強くなったのが、そう「ムラ」でした。これを「惣村(そうそん)」といいます。
(「そうむら」は酒の名前)
そこには惣掟(自治法規)・自検断(自治司法)などの高度な自治性と鉄の規律がありました。

彼らは農民だし、とりあえずお上が決めた身分とか賤民がどうのとかには無関心です。、
そのかわり、農民内での乙名(おとな)・沙汰人(さたにん)などの権限のほうが絶大で
はるかに高い関心事あったようです。

村の掟は厳しく、これに背くと悪名高き「村八分」が待っています。
もちろん、村八分は行動規範①②③の連立方程式の解に他なりません。
そして現在の日本でも「シカト」~「ハブ/ハブく・ハブいた」などの行動様式として
根深い社会病理として、また「いじめ」の原型として社会に巣食う
「共同絶交」思想のルーツでもあるのです。

また、平安くらいからは「死・産・血」などのケガレ思想が、インドなどから流入しています。
もともと黄泉の国伝説という下地のあった日本に、これはピタッと嵌ります。
これが、階層関係の方向性として、上下ではなく内外、という日本独特の観念を生み出します。
低い階層⇒穢れたもの⇒外、となるのです。
今でもシカトとかいじめがあるとは、いかに当時の惣村の権限が強かったかが分かります。


応仁の乱で室町幕府の権威までダメになってくると、いわゆるその辺の者一般人が力をつけ、
下克上を盛んに起こし、戦国時代になりました。
この時代の領主つまり戦国大名は、力こそ正義のような人種。「惣村」よりは普通に強いです。
「一円支配」という大名の直接支配で、惣村の権力を徐々に奪っていきます。

この戦国時代に一度「ムラ社会主義」が否定されたことは非常に興味深く思えます。
そしてまた、各人の心の中に残された「ムラ社会主義」が、江戸時代になって復活します。

江戸時代の「ムラ」の大きな特徴は、政権が支配に利用するツールと化していることです。  ④
すると村人が勝手に、相互監視や密告、足の引っ張り合いを強化してしまうのです。
これは、旧共産圏ではデモやメーデーなどの、本来市民から自発的に行われるイベントが、
市民を束縛したり洗脳したりする強制ツールになってしまったことに似ています。

自主的でない、上からの押し付けによる「五人組制度」は、治安維持に威力を発揮します。
明治時代にいったんなくなったのですが、戦前に悪名高き「隣組制度」として復活します。

上が勝手に班を決めて、班単位で連帯責任で管理するというやり方が
結構強烈な統治力・治安維持力があるのには驚きました。
いわば『平和・非民主』主義の代表例です。

江戸時代は、「民は知らしむべからず~」に代表されるような情報や権限の統制・一極化と
「官僚による支配」が顕著な特徴であり、きわめて長期安定政権でした。

長期安定といえば美しい響きですが、普通に言えば単に「硬直化の推進」です。
参勤交代や諸法度、五人組など、あらゆる手で硬直化や現状維持を推進します。
こんな世の中では階層流動性=身分制度も、非常に強固なものとなります。

今でも被差別・同和問題があるとは、いかに当時の硬直化が根深かったかが分かります。

こうなると、各身分階層とか、それぞれの村や寄合、職域単位などごとに
数多くの情報共有や暗黙の掟、不文律が発生するようになります。
さらに『ウチ』と『ソト』では暗黙の掟や不文律の重要度がまったくことなります。
万一村八分や、笑い者(死ぬより恥ずかしいことだったようです)になったら大変です。

 いろいろな怪談話で多いパターンは、代々『○○集落の△地点には行くな』
 という言い伝えがあるのに、余所者や不心得者が禁を犯して、『あぼ~ん』
 このパターン、鉄板ですよね。
 今でも『洒落コワ』という怪談ジャンルのほとんどが「行くなと言ったのに」系です。

これは、集団やムラの『ウチ』と『ソト』での大きな情報断絶の存在を示しています  ⑤
暗黙の掟を破ると村八分にもなるし地縛霊も大爆発をするし、きわめて危険ですw


ここまで、国譲りから江戸時代まで強引にまとめてみました。

①ヤバかった事も「話し合いで決めた」などと白黒をあいまいにして事実を隠蔽する
②十七条憲法「空気嫁」「ひとりできめるな」で、みんな馴れ合い大好き人間に
③法律よりも、通達、行政指導、規則、疑義解釈でないと組織が動かない
④村を連帯責任で統治ツール化すると、村人が足の引っ張り合いを強化する
⑤集団の『ウチ』と『ソト』で大きな情報断絶。余所者は肩身が狭い

長期政権である江戸時代の影響は、やはり大きいですね。

しかし、いくらぬるま湯が心地よいからといって、ペリーに来るなともいえません。
海外はもの凄い列強帝国主義の時代です。
このままだと日本人全員が「バラク」とか「デビッド」とか「ステファン」とかに
されてしまいそうです。

鎖国では日本を軍事的に守れないので、
開国(江戸幕府)して日本を強化(明治政府)するしかありませんでした。

本当はしないに越したことはなかった開国~明治維新。
でも日本らしさを守るにはもう鎖国では無理なので富国強兵しかありません。
地球上はもう宗主国と植民地ばかりになっています。いわば准非常事態です。
もう掟ガーとか身分ガーとか言っている場合ではありません。

まさに「選択と集中」挙国一致するしかありません。

富岡製糸工場で女ッぷりを発揮し、日清日露で男を見せ、鹿鳴館では営業活動。
ついに1911年、小村寿太郎内閣は「関税自主権」を回復するに至りました。
そして2011年、野田佳彦内閣は「関税自主権」をTPPで放棄しようとしています。
愚かです。

維新後はとくに国力を集中するために、アイコンとしての天皇制や国家神道
(この言い方はあまり好きではありませんが)の利用が目立ちました。
そのほかに、この時代の非常に大きな変化として、以下のような点があります。

◆軍律、つまり現在の体育会系につながる上下関係の発生
◆統治の効率化のための四民平等(階層流動性の実質的解放)
◆公務員試験による科挙型通過儀礼(大学入試はまだ無い)

明治大正では江戸時代と異なり、ムラ(五人組)を統治ツールとして利用せず、
市民(臣民)に対する中央集権的な直接統治になったのが大きな違いです。
村や集落では①~⑤の性質を残しながらも、プレッシャーは軽くなりました。

地租改正で金銭的小作農(フリーター、非正規?!)が生まれたり、
貧富の差の拡大が見られるなど、「自由による格差社会」も垣間見え、
少し風向きも変わってきます。

ただ、昭和に入ると、戦況とかが悪化してきます。
また町内会が大政翼賛会の統治ツール「隣組」として利用されてしまいました。

江戸時代に続く2度目のパターンですね。結構味を占めてるようです。

しかし英霊のご奮闘むなしく、しなくてもよかったはずの戦争に負けてしまいました。
残念ながら、大本営も「ムラ①~⑤」だったのです。

①ヤバかった事も「話し合いで決めた」などと白黒をあいまいにして事実を隠蔽する
②十七条憲法「空気嫁」「ひとりできめるな」で、みんな馴れ合い大好き人間に
③法律よりも、通達、行政指導、規則、疑義解釈でないと組織が動かない
④村を連帯責任で統治ツール化すると、村人が足の引っ張り合いを強化する
⑤集団の『ウチ』と『ソト』で大きな情報断絶。余所者は肩身が狭い

戦後は、天皇の権威は戦前と比べて大きく損なわれ、求心力も減殺されました
「ムラ」は農地解放で空中分解し、行き場を失います。
「軍律」も武装解除で空中分解し、行き場を失います。

小室直樹氏の指摘によれば、空中分解した「ムラ=村落共同体」は
各企業に吸収されました。
終身雇用とか年功序列などの日本的経営と呼ばれるものがそれだそうです。

また、「軍律」は、もっと純粋かつ理不尽な?!「体育会系」に形を変えて
中学以上の運動部を中心とした部活動、体育会、一部ブラック企業などに
吸収されていきました。

しかし一般社会生活上の共同体的な連帯は、もうどこにもありません。
心の中に「ムラ①~⑤」を抱えたまま絆を失い、バラバラになった国民は、
「アノミー」(無連帯状態)という、行動基準を失った状態に陥っていきました。

戦後に特徴的なこととしては、他に以下の点があります。

△教育改革(教育基本法第一条)
 武田邦彦先生によると「自分個人だけよければいい」という宣言だそうです。
 戦前の教育勅語と比べて、友人・家族・地域社会・国家についての言及がない
 ところが大きなポイントです。

 その意見は、今問題のいわゆる「平等教育」とは相容れないではないか
 という声も聞こえてきそうです。
 何のことはありません。日本の教育機関は「ムラの掟」を平等に叩き込むための
 教育機関なのです。
 掟に忠実な人間を育てないといけません。
 上記の点については、おそらく占領政策にとって、地域共同体的な自治・連携は
 不都合だと思われたのでしょう。その残滓だと考えられます。
 とにかく、欧米のように下手にディベート能力や情報発信能力を身に付けられては
 ムラの安泰が保てません。
 そこで、「読む」「聞く」のインプット系能力ばかりが問われることになり
 ムラに都合の悪い「書く」「話す」のアウトプット系能力は伸ばさないのです。

 それなのに21世紀になって急に、コミュニケーション能力が大事な世の中に
 変わってしまいました。

△入試地獄
 そもそも私は大学という場において入学試験が必要であるとは到底思えません。
 東大だろうが医科歯科だろうが、入りたいものが入ればいいのではないでしょうか。
 そして、必要な学力を身に付けたら進級・終了。無理なら留年、フェードアウト。

 実際ドイツの医科大学では希望者全入と聞きます(ただし何年か順番待ちはある)。

 もう心の中に「ムラ①~⑤」を抱えたままアノミーに陥った日本人は
 他人を見ても何も信用できず、試験くらいしか信用できるアイテムがないのでしょう。
 古代中国のように科挙の真似して学問まで硬直化してどうするのか、と思います。

 やはり大企業が「ムラ①~⑤」になってしまっているのが根本原因だと思います。
 企業が新卒一括採用を根本的に改めれば、必然的に大学全入も実現可能であり
 入試地獄は解消、センター試験は純粋な「資格試験」として生まれ変わるでしょう。
 しかしそれには、企業が「ムラ①~⑤」であることを脱皮することが必要です。

 今までの例では、暴力団排除条例のように、アメリカの密約や黒船がないと
 日本では全体的に変わる、ということがなかなかできませんでした。

 この写真は、動物園でゴリラを見るときのメガネだそうです。

 目が合うと興奮するので、このようなものがあるとのことです。

 集団でわざと真実から目をそむけている、というのは、さしずめ
 このようにコケティッシュな、そして少し哀しい情景です。

 しかしムラ社会の重要な要素である「⑤情報断絶」ですが、インターネットにより
 風通しが一変されようとしています。
 気がついたのは、新聞・テレビや記者クラブもまた「ムラ」だったことです。
 そのような意味でも、私はネットに期待しています。

以上、脱線を交えながら、『ムラ』にのみ焦点を絞って、素人考えをぶってみました。
強く感じるのは、やはり江戸時代の影響が強く、上においては大本営的な考えの元、
個人個人においては「ムラ①~⑤」的な考えのもとになっている、ということです。

今回の政府や東電、保安院、既存マスコミなどの発想や行動様式も、忠実に
これら「ムラ①~⑤」の思想を踏襲していると考えると、すっと解けます。

そこでは、心の中の①~⑤に比べて、「民主的」「合理的」「科学的」「客観的」
という概念など非常に軽んじられていて、場合によってはむしろ害悪であるので
「事実には目をそむけ」現実も「見て見ぬ振り」をすべきである。
などという、一見荒唐無稽な現実と直面せざるを得ない、重い現状です。

国民もまた、みな「ムラ①~⑤」を心に抱えたままバラバラになってしまっていて
下は井戸端会議から上は大企業まで、安住の「ムラ①~⑤」を求めてさまよい続けます。

だからこそ、今回の震災などでも、前回のコラムに書いたような理不尽が
そこかしこで起こってしまうのだろうと思います。

話を歯に戻します。

私はたとえば、今後は歯科は予防中心が国民の利益に叶う、とか
歯は有限で再生しない、とか、痛いと悪いはほとんどリンクしない、とか
道理を説いてきたつもりでした。

私は政治家ではないので、直接の政策がどうだから、とはあまり言えませんが
自分の思いを伝えるには、「ムラ①~⑤」的な雰囲気に合致するようにもって行かないと、
徒労に終わるのではないか、と、本稿を終えるに際し痛感しています。
(そしてそれが自分にっては結構難題であることにも気がついてしまいました)

『予』防・『予』測(simulation)・『予』見などの、『予』の字がつく多くのことがら。
これらは、十分なデータと合理性に基づいた妥当性の高い方向の発見です。
と同時に、いずれも「自らによる変革」を強く求めるものです。

私も含めた多くのさまよえる「ムラビト」達には、①~⑤を考えると苦手系だと思われます。
それだけに、事に当たっては少し強い自己変革の覚悟が必要だと思います。

【今回のまとめ】

伝統的な心の掟「ムラ①~⑤」が不利益にならないように、個人個人が注意すべきである

2011/10/23 07:26 | nemoto | No Comments