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2011/10/19

こんにちは、諒です。

いつの間にか夏が過ぎて気温が下がり、寒がりなわたしは、これから訪れる冬を思って泣きそうです。にもかかわらず、前回の続きで氷室のことを書きます。今回は別の話題にして、氷室の話は氷作りの行われる冬に…とも考えたのですが、8月にたまたま都祁の氷室神社を訪れましたので、記憶の比較的新しいうちに、logしておこうと思います。従いまして、都祁の氷室の話が中心となります。

〔古代の氷の作り方と活用方法〕

さて、前回〔2、氷室の使い方〕として引用した『日本書紀』仁徳天皇条を改めて整理すると、以下のようになります。この記事も都祁の氷室のことを言っています。

1)12月に氷を作る。

2)保存方法は、3メートルほど地面を掘って、草を敷き、その上に作った氷を置く。

3)2月の春分に保存している氷を使用する許可がおりる。

4)利用方法は、夏、「水酒」に入れたりする。

1・2は氷の精製に関わることです。氷は、自然に張ったものを切りだすのではなく、人工的に精製します。都祁では、明治時代に到るまで氷作りと氷室が生きていました。そして現在でも、「復元氷室」が建てられて実際に氷の精製と保存が行われています。

〔明治期の都祁〕

井上薫氏は「都祁の氷池と氷室」(『ヒストリア』85、1975年)という論文で、明治35年~43年まで、都祁村で氷を作り、氷室に貯え、奈良の桜井へ出荷していた経験をもつ、吉井芳太郎翁から聞いた氷作りの話を紹介しています。

それによると、場所は、水のきれいな氷の張った池を選び、冬の夜、特に冷えるときに作業を行う。方法は、池の縁辺の氷に穴をあけ、そこから柄杓で水を汲んで、池の中心部に投げかける。それをひたすら続けて、分厚い氷を作り、作った氷は切りだして氷室に運び、貯蔵した。作業は、雪や霰が降ると中止する。なぜならば、途中で雪や霰が交ると氷が不透明になり、味もまずくなるためである。

…想像するだけでつらい作業です。吉田翁は13歳~21歳のあいだ、氷作りに関わったそうです。若くて体力があるとはいえまだ子供。本当に昔の人は偉いです。

水の味は何となく日常生活で判りますが、以前、京都の貴船神社に行った時、氷の味に感動した覚えがあります。夏の暑いときで、参拝の帰りに何気なく立ち寄った喫茶店で出されたかき氷が驚くほど美味でした。疲労やシロップのためではなく、氷そのものが何となく香ばしいような風味のある感じで、こんな氷があるものかと感激したものです。その時は、あの辺りは水が良いからなーと考えたのですが、吉田翁の話などによると、もしかしたら精製の仕方に工夫があったのかもしれません。今度、そうした出会いがあった時には、氷の仕入れ先を聞いてみようと思います。

〔現在の都祁〕

氷作りと保存には自然条件が整っている必要がありますが、主なものとしては、標高500m前後であること、そして1,2月の最低気温が氷点下3℃以下になること、だそうです。都祁の「復元氷室」は、大体標高500m弱の地点にあり、統計によると1,2月の平均最低気温は氷点下3℃です。冬の間に氷室に収めた氷は、7月の終り頃でも大体3分の1程度は残るそうです。ただ、2011年は、どういった原因か、3000kg入れて3kgしか残らなかったとか。

ところで、都祁の氷室の話が続いていますし、せっかくなので地図を出しておきたいと思います。赤い円の示す場所が、左から、氷室神社、氷室跡、復元氷室です。諒が8月に訪れたのは、福住町にある氷室神社とその近くの氷室跡です。「復元氷室」はそれよりもやや標高の高いところにありますが、今回はそこまで行けませんでした。

それと、氷室跡の写真。

大変わかりにくいですが、真ん中の木の後ろの地面が少し窪んでいます。氷室跡は学校の裏山みたいなところにありました。吉田翁が語るようにして作った氷を、こうした山中で保管して、都に運んだと推測できます。

〔古代における氷の利用〕

そのように苦労して作り、保管された氷の利用のひとつが食用です。前掲の『日本書紀』には「水酒」に漬すとあります。当時の酒は、現在のような透明でキレの良いものではなかったでしょう。濁りの残る酒に水を加えて口当たりを良くし、うんと冷やして飲む酒…などと、妄想が膨らむところです。平安時代になりますと、例えば『源氏物語』に「いと暑き日…(中略)…大御酒まゐり、氷水召して、水飯などとりどりにさうどきつつ食ふ」とあります。召した「氷水」は、酒や飯に入れて、暑い夏でも「さうどきつつ」(食欲も旺盛に)食べた様子がうかがえます。また、『枕草子』には「あてなるもの」(四〇)に「削り氷(ひ)にあまづら(甘葛:甘味料のひとつ)入れて、新しき鋺(かなまり:金属製の椀)に入れたる」とあります。「あて」とは、上品で優雅なことです。あぁ、美しくておいしそう。「削り氷」のことは、『栄花物語』(巻二十五「みねの月」)などにも見られます。

他に、なるほどな利用法が「保存」に関わることです。律令の「喪葬令」14に「凡そ親王及び三位以上、暑月に薨しなば、氷給へ」とありまして、暑い時期に親王や公卿が亡くなったときはその遺体を氷で冷やしていたことがわかります。そういえば、映画「サマーウォーズ」にそんなシーンがあったことを思い出しました。氷の受容は「涼」と「保存」が基本であるのは、古代から現在まで変わりません。

氷は、何しろ溶けてしまうものですから、古代における利用法や状態などを実際に見ることはできません。しかし、遺跡や昔を知る人の話から、どれだけ氷が必要とされており、人々が苦労を重ねて来たかがわかります。そして文学は、断片的ですが、その楽しみや美しさを伝えます。もっと研究が進んで、運搬方法や利用方法がもっと明らかにされることを期待しています。

涼しげな話題を…と思ってはじめた氷の話でしたが、文学よりも歴史的なことが多くなってしまいました。でも、古代の生活を知る、ということで、たまにはこういうこともあります。次回は、せめて季節に合った話題を選びたいと現時点では考えています。

2011/10/19 11:58 | rakko | No Comments